最初に話を持ってきたのは、某大手出版社の女性誌編集者K林君だった。
1998年の3月のことだ。
K林君は僕よりも7、8才若い、30代初めのサッカー好きの編集者だった。彼は、創刊したばかりの女性誌の編集に関わっていたのだが、なんとかしてサッカー寄りの記事を書こうとして必死だった。僕のところへ来たのも、なんだか的はずれのインタビューを取りに来たのが最初だった。
投稿者: team shiromasa
Shiroと旅した四万十へ 再び -Hitobon
ひとぼん、本当に今回の旅はありがとう。照りつける太陽の下で太平洋を眺めていて涙が出ました。あんな海が見たかったんです。今までの人生を振り返ってほっと出来ました。そして、そこへ続く四万十川のゆるやかでおおらかな流れを見て、心がとても落ち着きました。
ラブレター:久山さんへ<お詫びと報告> 北島彰子
久山さん、私のコト覚えていらっしゃいますでしょうか?
久山さんの大阪時代、事務所をデザイン会社とシェアされていた時
そのデザイン会社で勤務していたキタジマです。
あきちゃんだよー。(←自分で言って少し恥ずかしい)
時々、天使は舞い降りる - 久保田朋徳
ふと久山さんのことを思い出す時が結構あります。
仕事柄これまでたくさんのカメラマンさんにお会いしてきましたが、
久山さんは、自分にとって特別なカメラマンでした。雰囲気が特別でした。
早撃ちの城 - 浜頭仁史
こっちがまだ盛り上がらないうちに、とっとと済ませる人でした。いや、仕事の話。
かれこれ20年にはなるでしょうか。新聞広告の企画記事で、よく著名人の撮影をお願いしていました。こちらが取材をしている間、インタビュー・カットを撮っていただくのですが、とにかくまぁ、仕事を終えるのが早い人で。
久山との旅 フランスワールドカップ(1) 原田宗典
久山よ、あれからもう17年も経つのか。うそみたいだなあ。1998年6月、フランスワールドカップの旅、忘れられないよな。おまえも、あの旅は最高やったなーと言っていたもんな。
フランスワールドカップの話をするのには、まず最初に美輪明宏さんのお宅にお邪魔したところから話さなければならない。とても不思議なことなのだ。
works for MYSTERY – 2
久山との旅 九州温泉旅行 (2) – 原田宗典
部屋に帰ると、奥の間に2人分の床がのべてあった。寝るしかない、といった風情である。ひとむかし前の和風の旅館の夜には、この「寝るしかない」と思わせる風情が多かれ少なかれ感じられたものだ。僕も久山も、その風情に素直に従って、すぐに寝支度にとりかかった。糊のきいたふとんの中にもぐりこんだのは、僕の方が先だった。
「ほんなら。おやすみ」
久山との旅 九州温泉旅行(1) - 原田宗典
そういえば、いつだったか久山とこんな話をしたことがある。
「わしな、シャーマンになれる素質があるらしいで」
「シャーマンってなに?」
「ハワイで聞いたんやけど、シャーマンになる資格のひとつに、人の死をひとりで看取ったことが3回以上ある、というのがあるんやて」
「人の死を? それどういうこと? おまえ、そんなこと3回もあったんか?」
「実はあるんや」
「約束をはたして桜を見たぜ。生きたぜ。」 -Hitobon
今日は、春分の日。
太陽が真東から昇って真西に沈む日。そしてお彼岸の中日です。
これから毎日少しづつ日が長くなると思うとそれだけで嬉しくなります。
今朝、いつものように祭壇にお線香とコーヒーをあげてお花を整えた後、ふと目についた久山の手帳を開けてみました。
2013/3/24「M君にTEL。これで1年前の約束をはたして桜を見たぜ。生きたぜ」と力強い字。
そう。来年の桜を見ることは難しいでしょう、と言われてから1年以上が経過していました。
