Classic cars-2
Works for “Tokyo Concours d’Elegance 2010”

Photographer
長らく連載を続けてきたフランスワールドカップの旅も今回が最終回。
旅の流れから行くと、パリで甘い夜を過した翌日、僕らはナントという街へ行って日本対クロアチア戦を観戦したのだが、実はどういう訳かこのへんの記憶が曖昧なのである。そこで今回は特別に久山本人に登場してもらって対談形式で話をしたいと思う。
朝食の後、僕らは車で市内のロダン美術館に向かった。
この美術館は前の年に某カメラマンから「パリに行くならロダン美術館がいいよ。それも午前中ね」と言われていた場所である。午前中というのは、たぶん彫像に横から光が当たるからだろう。彫刻というのは基本的には屋外に置いてあるものなので、光の加減が一番美しい午前中に観るのが正しいのだという。
港町モンペリエで奇跡のような一夜を過した翌日、僕らはパリへ向かった。
パリはワールドカップ一色で、街全体が浮かれているような感じだった。
僕らが宿泊したのは、かつてピカソが下宿していた「洗濯船」と呼ばれる建物の隣のホテルだった。場所は最高だったが部屋は最低。シングルベットひとつでぎっしりの広さ。ついているシャワールームも将棋盤くらいしかなくて、つま先だってシャワーを浴びなければならなかった。
結局、カルカッソンヌのホテルでは一睡も出来なかった。まず変だったのはテレビ。怖いのをまぎらわそうとしてテレビをつけたのだが、どういう訳か受信状態が極めて悪く、嬉野の温泉でエロビデオを観たときのように画面がハレーションを起こして気持ち悪い画しか映らなかったのだ。それでも我慢して、サッカー中継をつけっぱなしにしていたら、真夜中に突然プツっといって切れてしまった。
原田さんは、去年の9月から毎週かかさず自宅に来て「久山との旅」を書きながら、同時進行で執筆中の「メメント・モリ」を久山の祭壇の前で朗読していました。そして「久山が僕に力をくれた」と原稿用紙250枚のこの大作は3月に仕上がりました。
僕らは橋のたもとにちょうどいい感じのレストランを見つけた。ガラス戸越しに中を覗き込むと、大型のテレビモニターが置いてあり、店内も賑わっていた。ここにしようか、ということになって入ろうとした矢先、さっきまで元気だったK林君が急にうめき声をあげて頭を抱え込んだ。突然だったので皆びっくりした。
宿泊先は、カルカッソンヌ駅前に建つ古いホテルで、「フランス版箱根冨士屋ホテル」といった趣である。例によってI澤嬢とブリス君がフロントでの手続きを済ませてくれて、各々に部屋の鍵が配られる。僕の部屋は2階の111号室。久山は隣の112号室。いずれもやけに天井が高く、バスルームも必要以上に広々としていて、全体的に「がら~ん」とした雰囲気の部屋である。ムネノリなんだか不安だわ・・・という第一印象を抱いたのを僕は後になって震えながら思い出すこととなる。
今春のある日、自宅に本が届きました。著者は、久山の友人/桑原弘樹さん。
そこには、
「事後報告で恐縮ですが、あとがきに久山さんと桑原さんのやりとりの一部を掲載させていただきました。・・・ 桑原塾/運営事務局」 という内容のお手紙が添えられていました。
え?と思って本の最後の方をめくってみると、久山が亡くなる少し前までトレーニングしていた話が書かれていました。
