写真家・久山城正が遺したもの  -Team Shiromasa

計算できない魅力に満ちた写真家、どんな状況にあっても常にポジティブ。偶然の不思議な世界を彼流にカメラで切り取ってみせてくれる、そんな久山 城正の生き方そのものがアートでした。ときに力強く、ときに不思議で、微笑ましい数多くの作品を彼は遺しました。
本当なら、もっともっと活躍してほしかった・・・。そんな思いを込めて、彼が遺した写真作品・闘病生活や面白かった彼の思い出話などをこのサイトでご紹介しています。
また、彼が何度も何度も訪れ、無心にシャッターを切り続けた東日本大震災の風景。この圧倒的な風景の中に、彼が伝えたかった何かを、感じでいただけたらと思いスペシャルコンテンツでお届けしています。ぜひご覧下さい。

目の当たりにすることの大切さ- 「東日本大震災の風景」スペシャルサイト
> 3.11 写真家・久山城正が遺した東日本大震災の風景

Team shiromasa

美輪明宏さんに捧ぐ…久山との旅 /フランスワールドカップの旅(1) 原田宗典

久山よ、あれからもう17年も経つのか。うそみたいだなあ。1998年6月、フランスワールドカップの旅、忘れられないよな。おまえも、あの旅は最高やったなーと言っていたもんな。
フランスワールドカップの話をするのには、まず最初に美輪明宏さんのお宅にお邪魔したところから話さなければならない。とても不思議なことなのだ。

当時、僕はある女性雑誌に依頼されて、短い大人の童話みたいなものを連載することになった。その第1回目は「嘘の女王」という話だった。ビジュアルはどうしますかと編集者に聞かれて、僕は久山の写真がいいと答えた。じゃあ何を撮るかという話になった時、僕の頭に浮かんだのは美輪明宏さんだった。頭の中には、「嘘の女王」を演じる美輪さんの姿が浮かんでいた。それを久山に撮ってもらおうと考えたのだ。
「嘘の女王」というのはだいたいこんな話だ。昔々あるところに嘘の女王がおりまして、彼女は一度でも本当のことを口にすると命を失ってしまう定めにある。何から何まで嘘で固めた「嘘の国」に住む嘘の女王。そんな彼女がある舞踏会で恋におちてしまいます。お相手は隣国「真実の国」の真実の王子。彼は一度でも嘘を口にすると命を失ってしまう定めにあります。そんな2人は恋におちて・・・まあ、だいたいそんな話だった。
この「嘘の女王」を美輪明宏さんに演じてもらって写真に撮る――それはごく自然なことのように思えた。しかしこの依頼を受けてくれるかどうかは誰にもわからなかった。たぶん断られるだろうなと思いながらも、一縷の望みを託して僕は手書きの原稿を送った。するとそれがよかったのか、2週間ほどして撮影OKの返事が来た。僕と久山は、小躍りして喜んだ。撮影場所は、都内にある美輪さんの自宅でとのことだった。僕らはますます喜んだ。だって美輪明宏の自宅へ行けるなんて!もともと美輪さんのファンだった僕はどきどきわくわくしながら撮影の日を待った。
その日は2月の寒い曇った日だった。僕と久山と編集者の3人は、都内某所の住宅街を地図を頼りに歩いていった。小雨が降ってきた。
「あれやないか?」
久山が指さす方を見ると、見たこともないサーモンピンクのジャガーが停まっていて、そのむこうに瀟洒な洋館が見えた。ピンクのジャガーに洋館――美輪明宏以外にこんな家には住めないし、こんな車には乗れないだろう。
僕らは3人共しゃっちょこばって玄関に近づき、呼び鈴を押した。家の中の遠くの方で「キンコン」と美しい鐘の音が響いた。いかにも美輪明宏の家の呼び鈴の音である。僕らは3人ともカチコチに緊張していた。やがて扉が中から開くと、そこにはエルキュール・ポワロみたいなマネージャーが立っていた。
「いらっしゃいませ」
来意を告げて中に案内されると、まず目に飛び込んできたのは、1枚の絵だった。それは19世紀末のアールヌーボーの画家タマラ・ド・レンピッカの絵だった。赤と黒を基調にした女の肖像画で、それはいかにも美輪明宏に似つかわしい絵に思えた。
「こちらでお待ち下さい。美輪はすぐ参ります」
僕らが通されたのは、豪華なシャンデリアが下がった応接間で、3人掛けのアールデコのソファが1脚置いてあった。その向かいには、肘掛の先がライオンの頭になっている巨大なひとり掛けの椅子が置いてあった。美輪明宏以外は座れないような椅子である。あとで聞いたら、その椅子は舞台で使用したものをそのまま家に持ってきたものだという。
「おい、すげえ椅子やな」
「大きい声を出すな」
「お、こっちもすげえな」
久山はすっかりカメラマンの本能に従って、応接間のあちこちを見て回っていた。緊張していた僕はそれを止めるのに必死だった。しかし今思い出してみると、さすが久山。相手が誰であろうと写真を撮る以上は決して臆することはないのだ。僕はそんな久山をいつも羨ましく思っていた。
やがて階段に足音が響いて、美輪明宏さんが登場した。
「ごきげんよう」
会釈しながら例の巨大な椅子に座る美輪さんの姿は、まるでお芝居の一場面のようだった。その手には僕の自筆原稿が握られていた。読んでくれたんだ。そう思うと気絶しそうなほど嬉しかった。僕と編集者が今回の連載の意図などを話してる間、久山はじっと美輪さんのことを観察していた。そしてものも言わずに立ち上がり、てきぱきと照明の準備をし始めた。どういう風に撮るのかあらかじめだいたい決めていたらしい。
「その椅子、すごくいいんで、座ったまま撮りましょう」
久山はそう言って、準備を整えると、手早くポラを切り始めた。
「今度は目をつむってもらえますか」
久山は気軽に色々と美輪さんに話しかけるので、傍にいた僕ははらはらした。けれど久山の言い方は、遠慮はないけど嫌味ではない。そういう風に話しかけられるのを美輪さんもむしろ喜んでいるようだった。
撮影時間は、およそ30分。あっと言う間だった。
その後30分くらい雑談を交わしたのだが、その時どういう話の流れだったか、フランスの話になった。美輪さんが旅したフランス、なかでもパリの話は面白かった。なにしろサルトルやボーボワールにも会ったというのだから驚きだ。僕はまだフランスには行ったことがない、と言うと美輪さんは意外そうな顔をして僕を見た。そして考えるより先に言葉が出てくるような口調でこう言った。
「あーら、そうなの。でも、あなた近いうちにフランスに行くわよ」
「え、僕がですか?」
「そうよ。必ず行くわ。私にはわかるの」
どうしてそんなことを言うのか美輪さん自身にもよくわからないらしかった。

美輪さんの予言が現実味をおびてきたのは、その2週間後のことだった。

つづく

原田宗典

※美輪明宏さんを追悼する想いで、2015年に作家原田宗典さんが書いてくださったエッセイを再掲載しました。続きも来月掲載します。ーTeam Shiromasa

Photo Gallery / Pandora’s Box-4


2013年2月26日撮影 - 久山の遺作「パンドラの箱」から。
病状を知った友人たちがプレゼントしてくれたライカ。久山はたいそう喜んで革カバーとストラップを付け、何度も何度も大切そうに触っていました。
– Team Shiromasa

Photo Gallery / Pandora’s Box-1

2013年2月14日撮影 ー「パンドラの箱」より

2013年2月13日。久山は抗がん剤点滴の後、銀座ライカにカメラを買いに行った。購入したのは「ライカX2 ポール・スミスエディション」という小さくてキュートなカメラ。世界限定1500台の特別モデルだ。
「このカメラは私にとって死んだ時に開けるパンドラの箱になった。私が死ぬ日までカメラの中身は決してPCには取り込まないと決めた。」と日記に記してある。Jpeg撮りっぱなしの久山の遺作スナップ写真。
これから少しずつUPしていきます。-Team Shiromasa