6月15日。
「おはよう」
と久山に起こされて目が覚めた。二日酔いである。昨日、試合の後、僕は部屋に戻って大急ぎで原稿を仕上げた。久山はトゥールーズ市内のラボへ行って、フィルムをデジタル処理するというめんどくさい作業に没頭した。当時はまだ写真はフィルムで撮るものだったので、デジタルに焼きなおして日本へ送るという作業は、久山にとっても初めてのことだった筈だ。編集者のK林君もやってみなければ上手くいくかどうかわからない、と言っていた。
今日で1年!shiromasa.com – Hitobon
6月7日。久山の誕生日に合わせて立ち上げたshiromasa.comは、今日でちょうど1年になりました。
死といふもの - 早川達雄
shiromasa.comにお越しの皆様、ごきげんよう。久山との思い出を綴った沢山の手記を読んでいて何だかとても不思議な気持ちになった。本人のキャラに負うところが大きいのはわかるのだが、『ちょっと遠いところへ旅してくるワ、また会おうの』みたいな台詞を残してどっかへ出掛けて行った、ような感じがするのだ。原田もそう書いてたっけなぁ・・・
久山との旅 / フランスワールドカップの旅 (3) 原田宗典
6月13日。
目覚ましを8時半にかけていたのだが、それが鳴り出すよりも早く、自然と目覚めてしまう。時差ぼけのせいだろうか。窓を開け放つと、外は絵に描いたいたようないい天気である。とりあえず顔でも洗うか、と歯ブラシを手に洗面所に赴く。歯磨き粉は拝借するつもりで、洗面台の周辺を探してみたところ、これがなかなか見つからない。
久山との旅 / フランスワールドカップの旅(2) 原田宗典
最初に話を持ってきたのは、某大手出版社の女性誌編集者K林君だった。
1998年の3月のことだ。
K林君は僕よりも7、8才若い、30代初めのサッカー好きの編集者だった。彼は、創刊したばかりの女性誌の編集に関わっていたのだが、なんとかしてサッカー寄りの記事を書こうとして必死だった。僕のところへ来たのも、なんだか的はずれのインタビューを取りに来たのが最初だった。
Shiroと旅した四万十へ 再び -Hitobon
ひとぼん、本当に今回の旅はありがとう。照りつける太陽の下で太平洋を眺めていて涙が出ました。あんな海が見たかったんです。今までの人生を振り返ってほっと出来ました。そして、そこへ続く四万十川のゆるやかでおおらかな流れを見て、心がとても落ち着きました。
ラブレター:久山さんへ<お詫びと報告> 北島彰子
久山さん、私のコト覚えていらっしゃいますでしょうか?
久山さんの大阪時代、事務所をデザイン会社とシェアされていた時
そのデザイン会社で勤務していたキタジマです。
あきちゃんだよー。(←自分で言って少し恥ずかしい)
時々、天使は舞い降りる - 久保田朋徳
ふと久山さんのことを思い出す時が結構あります。
仕事柄これまでたくさんのカメラマンさんにお会いしてきましたが、
久山さんは、自分にとって特別なカメラマンでした。雰囲気が特別でした。
早撃ちの城 - 浜頭仁史
こっちがまだ盛り上がらないうちに、とっとと済ませる人でした。いや、仕事の話。
かれこれ20年にはなるでしょうか。新聞広告の企画記事で、よく著名人の撮影をお願いしていました。こちらが取材をしている間、インタビュー・カットを撮っていただくのですが、とにかくまぁ、仕事を終えるのが早い人で。
久山との旅 フランスワールドカップ(1) 原田宗典
久山よ、あれからもう17年も経つのか。うそみたいだなあ。1998年6月、フランスワールドカップの旅、忘れられないよな。おまえも、あの旅は最高やったなーと言っていたもんな。
フランスワールドカップの話をするのには、まず最初に美輪明宏さんのお宅にお邪魔したところから話さなければならない。とても不思議なことなのだ。
