原田さんは、去年の9月から毎週かかさず自宅に来て「久山との旅」を書きながら、同時進行で執筆中の「メメント・モリ」を久山の祭壇の前で朗読していました。そして「久山が僕に力をくれた」と原稿用紙250枚のこの大作は3月に仕上がりました。
カテゴリー: 思い出
桑原弘樹さんの本 -Hitobon
今春のある日、自宅に本が届きました。著者は、久山の友人/桑原弘樹さん。
そこには、
「事後報告で恐縮ですが、あとがきに久山さんと桑原さんのやりとりの一部を掲載させていただきました。・・・ 桑原塾/運営事務局」 という内容のお手紙が添えられていました。
え?と思って本の最後の方をめくってみると、久山が亡くなる少し前までトレーニングしていた話が書かれていました。

死といふもの - 早川達雄
shiromasa.comにお越しの皆様、ごきげんよう。久山との思い出を綴った沢山の手記を読んでいて何だかとても不思議な気持ちになった。本人のキャラに負うところが大きいのはわかるのだが、『ちょっと遠いところへ旅してくるワ、また会おうの』みたいな台詞を残してどっかへ出掛けて行った、ような感じがするのだ。原田もそう書いてたっけなぁ・・・
ラブレター:久山さんへ<お詫びと報告> 北島彰子
久山さん、私のコト覚えていらっしゃいますでしょうか?
久山さんの大阪時代、事務所をデザイン会社とシェアされていた時
そのデザイン会社で勤務していたキタジマです。
あきちゃんだよー。(←自分で言って少し恥ずかしい)
時々、天使は舞い降りる - 久保田朋徳
ふと久山さんのことを思い出す時が結構あります。
仕事柄これまでたくさんのカメラマンさんにお会いしてきましたが、
久山さんは、自分にとって特別なカメラマンでした。雰囲気が特別でした。
早撃ちの城 - 浜頭仁史
こっちがまだ盛り上がらないうちに、とっとと済ませる人でした。いや、仕事の話。
かれこれ20年にはなるでしょうか。新聞広告の企画記事で、よく著名人の撮影をお願いしていました。こちらが取材をしている間、インタビュー・カットを撮っていただくのですが、とにかくまぁ、仕事を終えるのが早い人で。
写真家・久山城正が遺した東日本大震災の風景
「目の当たりにすることの大切さ」
写真家・久山城正が遺した「東日本大震災の風景」を公開します
写真家・久山城正氏は、あの震災の後、何度も何度も、定期的に被災地を訪れては、無心にシャッターを切り続けました。
それらの作品は、ライターの廣瀬達也氏の言葉とともに、2012年3月6日から11日に開催する個展で、公開する予定だったのです。しかし、その準備の途中に病が発覚し、彼の目論みは、かなわぬままとなりました。
しかし、東日本震災から4年が経過した今こそ、写真家・久山城正が切り取った大震災の風景を、ぜひ目の当たりにしていただきたい、そう考えて、作品の一部を、ウェブで公開させていただくことにしました。
Team Shiromasa

久山城正氏が撮影した東日本大震災TSUNAMI - 東原慶和
操山高校S52年卒業の故久山 城正氏が写真撮影された「東日本大震災TSUNAMI」を拝見させて頂きました。この作品による銀座での個展を準備中に病気が発覚し、止む無く開催を中止されたそうです。お亡くなりになられた後は、ホームページ以外での作品発表をされていないとお聞きし、私は写真家 久山城正の想い「東日本大震災TSUNAMI」を故郷岡山の人々に届けなければならないと思いました。
パレルモ「シャンガイ」にて(1) - 河野浩士
■思い出すのは、やっぱり「旅」での出来事
私の現在の職業は弁護士。この仕事には、やりがいこそあるんですが、ひとつ残念なことが・・・。 それは、取材旅行のように、仕事での旅の機会がまず無いこと。たとえ出張があったとしても、地方の裁判所や、関係先に直行し、ほとんどとんぼ返りなんですよ、これが。
じつは、私は、弁護士になる以前、小さな編集プロダクションを主宰していました。当時、最も得意としていたジャンルは、それこそ「旅」についての本や雑誌記事編集や執筆。つまり・・、半分は旅するのが仕事だった訳で
「俺は一生定住者にならず、旅して生き抜いてやる!」などと、本気で考えていたぐらいです。
久山さんとソックリさん - カワハラ
その日、私はとても緊張していました。
東京に出てきて数カ月。ライターとして、はじめて著名人にインタビューすることになったからです。
そして、この仕事ではじめて久山さんに会いました。
いまから13年前の2002年1月22日のことです。
実はすっごい不愛想な人やったらどないしよー。
頭真っ白ンなって、ヘンな質問してしもたらどないしよー。
沈黙続いたらどないしよー。
