久山との旅 九州温泉旅行(1)   - 原田宗典

そういえば、いつだったか久山とこんな話をしたことがある。
「わしな、シャーマンになれる素質があるらしいで」
「シャーマンってなに?」
「ハワイで聞いたんやけど、シャーマンになる資格のひとつに、人の死をひとりで看取ったことが3回以上ある、というのがあるんやて」
「人の死を? それどういうこと? おまえ、そんなこと3回もあったんか?」
「実はあるんや」
ちょっと記憶があいまいなのだが、 一度はお母さんの死、もう一度は親類筋の人の死、もう一度は友人の死。3回とも久山がひとりでいるときに、目の前で亡くなったのだそうだ。それってすごい体験だと思う。ちなみに僕なんかは、人の死に立ち会ったことなど一度もない。ましてやひとりで誰かの死に立ち会うなんてそんなにめったにあることでは無いはずだ。それなのに久山は、3人も、ひとりでその死に立ち会ったというのだから驚きだ。
そんな体験があるから、必ずシャーマンになれるとは限らないけど、確かに久山には昔からそういったシャーマンじみたところがあった。霊感が強いというのか、何か不思議な力があるというのか、とにかく一緒に旅をしていると、行く先々で変事が起こる。
「その時、そこにいたいんや」
というのが、久山の口癖だったが、なるほどその通り。
例えば、久山と一緒に車に乗っていると、しょっちゅう事故現場に通りかかる。20代の頃、最初に東京に遊びに来た時もそうだった。それは雨の日で、いつもは混んでいない道がひどく渋滞していた。
「この先、事故やで」
助手席の久山はそういってカメラを準備し始めた。しばらくして車が動き始めると、その200メートル程先で酷い事故現場に遭遇した。
「やっぱりな」
久山はそう言いながらカメラのシャッターを切っていた。そんな風にして事故現場に遭遇することはしょっちゅうだと言う。特に雨の日。事故が久山を呼び寄せるのか、久山が事故を呼び寄せるのか。わからないが、その後も、久山と一緒にいる時に何度も大事故に遭遇した。だったら事故現場の決定的写真を何枚も撮っているのかというと、そうでもない。というのは久山自身が運転している場合の方が多いからだ。
「腕がもう1本あればなあ」
そんなことを久山は言っていたが、ないものねだりもいいとこだ。
事故だけではなく、霊のようなものを呼び寄せる力も、久山は強かった。
国内外の旅先で、久山と一緒にいる時に、何度怖い目にあったか知れない。中でも、約2年間九州各地を旅した時は、久山のその力を思い知らされた。
いちいち例をあげていたらきりがないので、今回は佐賀県の嬉野温泉を旅した時のことを話そう。
嬉野というと、有名なのはお茶である。午前中に現地に着いたときは、素晴らしい天気で、僕らは茶畑の真ん中に行ってまず写真を撮った。昔から久山は晴れ男で、この日も面目躍如だった。茶畑の葉っぱの間から顔を覗かせて僕のことを撮っている久山の姿が忘れられない。

茶畑原田

昼はその茶畑の近くの旅館で嬉野名物「温泉豆腐」。温泉水で豆腐を煮る、というシンプルな料理だが、鍋の中全体がミルクのように白濁するのは、ご当地の温泉水ならではのことなのだそうだ。これをポン酢だれに付けて食べる。美味しいのだが、ものすごく熱い。僕は熱いのは結構大丈夫なので、美味い美味いと食べていたが、猫舌の久山は、
「こんなん食われへん」
と言ってなかなか箸を伸ばさなかった。器に取り分けて冷めるまで長い時間おあずけを食らっていた。久山の猫舌は仲間内でも有名だ。なにしろホットコーヒーを頼んで、中に氷を入れて飲むようなことをしていたくらいだ。たぶん湯豆腐にも氷を入れたかったに違いない。
昼食後は、もうひとつの嬉野名物「肥前夢街道」へと赴いた。昼食を食べた旅館からてくてく歩いて約5分。不意の急勾配を上っていくと、目の前になにやら関所らしきものが見えてくる。
「お、素浪人がおるぞ!」
久山が指差す先に目をやると、なるほど素浪人の格好をしたおじさんが、関所の前を行ったり来たりしている。平日でお客さんが少ないせいか、つい油断して素の状態で歩いていたのだが、僕らに気が付くと突然「江戸風の歩き方」で付近を練り歩き始めた。かつらのつなぎ目も明らかなその横顔は、
「拙者は武士! ということで頑張ってますから、今のは見なかったことにしてちょうだいね」
てなことを物語っている。
「肥前夢街道」は、この素浪人おじさんの態度にも明らかなように、あくまでも江戸時代にこだわったテーマパークである。関所をくぐればそこから先は、誰がなんていっても江戸時代なのである。園内には大道芸の「ガマの油売り」や「南京玉すだれ」、「大江戸風お化け屋敷」、「からくり夢幻屋敷」、「扮装写真館ちょんまげや」、「江戸風の茶屋」などなど、施設はいずれも古き良き日本の江戸時代を意識して、これでもかこれでもかと作られている。子どもだましと言ってしまえばそれまでだが、僕らは結構これを楽しんだ。
「原田、おまえ殿様の格好せえや」
「えー、じゃあおまえ忍者になれよ」
「わしゃ写真撮るからこのままでええ」
「たまには役割を交換するっていうのはどうだ」
「いやや。はよ殿様になれ」
てなことを言われて僕は殿様の扮装をした。絵に描いたようなバカ殿であった。
日暮れ時、雨が降ってきた。僕らは肥前夢街道を後にして夕食を済ませ、宿泊先の旅館にチェックインした。夜9時くらいだったか。
そこは嬉野ではかなり古くからやっている老舗旅館だった。川沿いに建て増しを重ね、どんどん建て増して橋を渡って川向こうまで別棟の新館を建てたりしていた。僕と久山が案内されたのは、川下に建つ旧館の一番端の建物の一角で、離れのような古い部屋だった。これといった特徴もない二間続きの和室だった。入るとすぐに6畳の間があって、襖を開けると、その奥が10畳の間。ごくありふれた造りの部屋だった。けれど、どこか陰気な感じがするのだ。鈍い僕ですらなんとなく感じたのだから、そういうものに敏感な久山がなにも感じないわけがない。部屋に入るなり久山は、
「ん?」
といぶかしげな顔をした。僕らは顔を見交わして了解し、それぞれ室内の様子を見て回った。
「この部屋の中でどこが一番いやーな感じがする?」
ひととおり見回ってから改めて久山はそう尋ねてきた。いっせいの、せで言ってみようやと促がされて、同時に口に出したところが、
「風呂場!」
同じ答えだった。奥の10畳間のさらに奥、くの字に曲がった廊下の左手に便所があり、つきあたりに小さな風呂場があった。黒っぽいタイルが敷き詰められた狭苦しい浴室だ。色あせたブルーの浴槽がぽつりと据えてある。電灯はついているのに、浴室内はなんだか暗い。
旅館には当然大浴場もあったので、こんな不気味な風呂には2人とも入らなかった。荷物を置いて、浴衣に着替え、手ぬぐいを持って大浴場へと赴く。川沿いに続く長い渡り廊下を歩いて行って、本館の地下にある大浴場についた。
「なんや・・・がらんとしとるな」
久山が脱衣場でそう言った。確かに彼の言うとおり、部屋から大浴場に至る間も、脱衣場で服を脱ぎ始めてからも、人気がなくてがらんとした印象だ。
僕らは裸になると、軽口を叩きあいながら大浴場への扉を開けた。たちまち湯気につつまれて、浴場内はぼんやりかすんで見えた。やはり人気はない。僕らは入場したその足で、露天風呂へと向かった。
ザアアーッ!
すぐそばを流れる川音が耳を支配した。ひんやりとした敷石をふんで、湯気の中へと入っていく。茶色い、大きめの岩を組んで作った岩風呂だった。ついさっきまで雨が降っていたせいか浸かってみると、湯はひどくぬるく感じられた。久山は熱いのも嫌いだし寒いのも嫌いなので、ちょうどいいと言っていたが、僕はなんだか気持ち悪かった。
この時なにがきっかけだったか、亡くなった久山のお母さんの話をした覚えがある。久山が自分のお母さんやお父さんのことを話すのはめずらしいことなので妙に鮮明に覚えている。僕らは風呂から上がった後も互いの父母のことを話しながら、渡り廊下を歩いて部屋に戻った。

つづく

久山との旅 九州温泉旅行(1)   - 原田宗典」への2件のフィードバック

    • 夕子さん
      気になりますよねー、つづきはたぶん来週・・・。一気に盛り上がる筈です。なんといっても実話なので・・・。お楽しみに!     Hitobon

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