エンボスという紙の加工法がある。日本語では「空押し」とも言い、彫刻板を強くプレスすることで、文字や図像を精緻な起伏として紙の上に立ち上げる。印刷とは一味違った優雅な風情を生み出す効果があり、賞状や保証書など、一枚の白い紙に価値や思いを盛り込む手法として用いられることが多い。
岡山の高校で同窓だった写真家の久山城正は、高校を卒業して二十年以上が経過したある時、不意に上京して東京で仕事を始めた。同じく高校時代からの悪友、原田宗典と久山が親しかったこともあり、すぐに頻繁に会うようになり、久山の撮影した写真で、原田の小説の装丁をしたこともあった。原田の本を例外として、友人関係で仕事をする習慣を僕は好まないので、四つに組んで仕事をした記憶はない。しかし久山は男気を感じる写真を撮る人であった。勇壮とか猛々しいとかいう意味ではなく、自分の惚れ込んだ対象をけれん味なく愛そうとする、不器用な写真であったが、その率直さ、清々しさに、心の中をぽっと照らされるような作風である。どんな時も笑いを絶やさない男でもあった。撮影中の事故で骨折して入院している久山を見舞ったことがあったが、満面の笑顔で実に楽しそうに入院していた。
その久山城正に末期の胆嚢癌が見つかった。ちょうど彼が3.11の震災後、数ヶ月を経た現場に入って記録撮影をはじめた頃であったが、次の桜は見られないかもしれないという医師の宣告であった。旺盛に生きようとする心に、覚悟など簡単にできるものではない。怖い、死にたくないと正直に吐露する久山は、それでも微笑していた。訪ねた病院から帰る際、エレベーターまで送ってくれた時にも、閉まる扉の向こうには笑顔があった。これが久山を見た最後だった。
そんな久山から頼まれたことがある。焼き上げた印画紙に押す「エンボス」のデザインである。書画に押す落款と同じようなものとして、印画紙にエンボスを押す写真家もいて、久山は自分もそれをやってみたいという。
彼は自分の最後の活動として、親しかった人々を集めて肖像写真の撮影会を行った。招かれた友人・知人たちが、久山城正に写真を撮ってもらうべく集まった。十時間に及ぶ長い撮影会は、実に和やかで親密な空気に満ちていた。惜しまれて最期を迎える人はいるが、周りの人たちをこんな風におだやかな幸福に包み込みながら人生を締めくくることができた人は、僕が知る限り他にはいない。
木が一本生えていて、その枝にたわわに実がなっている。そういう意匠をあしらったエンボスのデザインをプレス機とともに久山に贈った。本人はいたく喜んで、紙という紙にそれを押していたそうだ。撮影会で彼が撮ってくれたモノクロームのポートレイトの上にも、それは静かに刻印されている。
原研哉
*この投稿は、原さんが書かれている読売新聞のweb版「白百(しろひゃく)」の一編として書かれ、shiromasa.comに転載許可をいただいたものです。
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