久山よ、おまえがいなくなってから三年も経つのか。年をとるごとに年月は早く流れるとは言うけれど、この三年は早かった。本当にあっという間だった。
三年か・・・昔は、三年経てば色んなことが大きく変わった。例えば中学の三年間、高校の三年間を思い出してみれば、その間にどれだけの変化があったか、誰しも思いあたるだろう。この年になって振り返ってみると、十代の頃なんかは、今とは全然違う自分が生きていたとしか思えない。だって毎朝七時に起きて、八時半から授業があって「現国」「歴史」「生物」「体育なんて一時間ずつ勉強して、昼めし食って隠れてタバコを吸って、午後はまた二時間授業があって、それから部活に出て、帰りがけに喫茶店に寄って帰宅。夕めしを食べたら、今度は受験勉強、という繰り返しの毎日を送っていたのだ—何故そんなふうにできたのか?謎である。今や朝めし食べて、あくびをして屁をひとつこいたら、もう昼、という暮らしぶりなのだから。
久山よ、おまえの暦は、2013年の11月7日で止まってしまった。そして久山のいない世界が三年も続いた。前にも書いたけど、ぼくにとって旅のツレであった久山を失ってから、ぼくは一度も旅をしていない。
ずいぶん昔、一年くらい会わずにいて、久しぶりに連絡を取ったら、嬉しそうな声で久山がこう言ったことがある。
「いやあ、そろそろなア、原田が足りんなあと思うとったところや」
そう言われた時は嬉しかったけど、久山、おまえがいなくなってから、「ううう、久山が足りんなあ」と何度思ったか知れないよ。
この三年間で、ぼくが成しえたことといったら、「メメント・モリ」を上梓したことだけだろう――これは、久山の写真と原のデザインに助けられて、誇れる一冊を出せたと自負している。しかし「メメント・モリ」を出したのは去年の11月で、もう1年も経ってしまった。その間、一体何をしていたのかというと――ぼくはあがていた。短い随筆を書いたり、新しい短編小説を書きかけては止めたり、童話を書いてみようとしたり・・・苦しいねえ。開高健が「年を取るにつれて、小説を書くのは難しくなってくる」と言っていたけど、本当にその通り。おそらく書き手の好奇心の幅が狭く、しかし深くなるために、小説を仕上げることが難しくなるのではなかろうか。
それでも先月、十月の終わりに、十七年前に起稿した長編小説を仕上げた。タイトルは「やや黄色い熱をおびた旅人」。1997年にNHKの取材で世界中の紛争地をめぐる旅をした――それをノンフィクションのようなフィクションのようなものに仕上げたのだ。
今、久山が足りないなあ、と思うのは、やはりこの新作を読んでもらいたいからだ。久山だったら、何て言ってくれるかなあ。おまえ、ヒネクレてるから、まともにはほめてくれないだろうけど、
「よくやった!!ようあきらめんかったな」
とは言ってくれるんじゃないかな。それとも、
「もっと早う書き上げてれば、わしゃ読めたのにィ」
と文句を言うだろうか。
君がいなくなって三年経った今日、ぼくはそんなことを考えた。
原田宗典