先日、高田馬場で異臭騒ぎがあった。なじみのある駅なので、それなりに注意してニュースを見ていたら、
<犯人は赤い服の女!?>
<前に立っていた男性の首筋にスプレー!?>
<犯人の女は黒い傘をさしてた!?>
などと、都市伝説みたいな詳細が少しずつ明らかになってきた。話を総合すると、駅のホームで黒い傘をさして赤い服を着た女が、前に立つ男性の首筋にスプレーのようなものを吹きかけたところ、男性および周囲の何人かが、具合が悪くなった――ということになる。
「あ、これはあれだな」
と、すぐに思い出したのは、久山のことである。いや、久山が痴漢をはたらいて催涙スプレーをかけられた、という話ではない(そういう話があってもおかしくないけど)。ずいぶん昔、もう20年くらい前に、こんな話を聞いたことがあった。
「こないだイギリスに行ったやんか、そん時にな、おもろいことがあってん」
久山は代理店の人と一緒にイギリスを旅した時の話をしてくれた。話の核は観光ではなく、帰りがけに立ち寄ったナイフ店のことだった。
「ナイフだけじゃのうて、色んな武器を売っとるんよ。ボウガンとか警棒とか・・・うわあ、おもろいやんけー、と思ってしばらく遊んどったんよ。いや、わしは何も買わんかったで。けど一緒に行った奴がな、面白がってスタンガンと催涙スプレーを買うたんよ。で、買ったとなると、これ使ってみたくなるやんか」
「なるか、そんなもん」
「なるやろー、興味あるやん、どうなるんかなー、って」
「そら興味はあるけどさ」
「せやろ、もー試してみとうて堪らんようになってなあ。まずスタンガン――これは痛そうやし、自分にやって気絶したりしたらシャレにならんから、ホテルの革のソファにぐっと当てて、ボン!!すげえ音がしてな、焦げ跡がついてなー。あれ、すごい威力やで、間違っても自分にやったりしたらあかん」
「そんなバカするやつはいないよ」
「まーなー、スタンガンやもんなあ」
「痴漢も大変だな」
「ほんま命がけやで。もう一個の催涙スプレーな、あれもどえらい威力やってん」
「げ!!おまえ試したのか!?」
「いや、直接やないで。間接的にちょこっとだけ。皆止めたけど、どういうふうになるんか、どうしても知りたくてなあ・・・ほら、香水つける時に、こう空中にシュっと噴霧して、その霧の中にふっと入る――そういうやり方があるやんか。あれと同じふうにして、友達にな、『この辺に、かるーくシュってやって』いうて頼んだんよ。シュっとこうやって、その中にわしがふっと入ったわけ」
「入ったんか!?」
「たちまち大変な騒ぎ!!目と鼻が辛うて辛うて涙と鼻水がドバー!!クシャミは出るわ、目は痛いわで、2時間くらい悶絶した」
「あほやなー」
「いやー、でも威力が分ったから、わしは満足じゃ。あれな、原田、催涙スプレーには気をつけなあかんで。目も当てられんようになるで」
「催涙スプレーか・・・ま、一生縁がないように祈るばかりだな」
「わしも、もう2度とごめんや」
久山は高校生の頃からものすごく旺盛な好奇心の持ち主だったが、ここまでとは思わなかった。
高田馬場の異臭騒ぎのニュースを見て、ぼくは反射的にこの時の久山の話を思い出した。あの時、久山が試したやつに違いない――そう思っていたら、その翌日、犯人が逮捕された。
「私はそんなことしてません。高田馬場にも行ってません。私はアイドルです」
と女は言っているという――うーん、何か本当に都市伝説じみてきてるなあ。久山、おまえどう思う。この事件?
試してみたかったんやろ、と言うか?そうだよな、持ってたら、一度くらい試してみたくなるかもなあ。でもぼくには試さないでね、と言いたいところだ。
原田宗典