久山との旅 徒然なるままに-5 原田宗典

今朝、一本の電話がかかってきた。受けたのは、おふくろだ。ぼくはまだ寝床の中にいた。
「ええ――ッ!?」
おふくろはもともと大袈裟なひとだが、その声の調子は、いつもとはかなり異質なものだった。嫌な予感がした。しばらく小声で話し込んでから、受話器が置かれた。
それを確かめてからぼくは起き上がり、台所に行った。おふくろは椅子の上にちんまりと座っていた。
「どうしたの?」
声をかけると、おふくろはうつむいたまま、
「さとえさんが亡くなったって・・・」
そう答えた。
さとえさんというのは、おふくろの竹馬の友だ。長野の山奥にある小学校の同級性――おふくろは今、八十五歳だから、その友情は八十年近くも続いた計算になる。親友を失ったのか、と思うと同時に、ぼくの脳裏には久山のことが浮かんだ。いくら年を取っているからと言っても、親友を失った悲しみの大きさには何の変わりもない。ぼくは何と声をかけてやったらいいのか分らなくて、しばらく口ごもってから、
「・・・残念だったね」
とだけ言った。これは、久山のお父さんが、久山がガンだと知らされた時に口にした言葉と同じだ。こういう時、人は「残念」としか言いようがないのかもしれない。悲しみにくれている相手に対して、かけてあげられる言葉というのは驚くほど少ない。
やがておふくろは深いため息をもらしてから立ち上がり、覚束ない足取りで仏壇に向かった。ろうそくに火を灯し、線香をつけて、勤行を始める。仏壇の端っこには、久山の遺影の前で「メメント・モリ」を朗読するぼくの後姿の写真が飾ってある。こうしておふくろはもう三年近くも、毎日毎日、息子の親友の冥福を祈ってくれているのだ。そして今日からその冥福を祈る相手が一人増えてしまったわけだ。ぼくはおふくろの隣りに座って、手を合わせ、一緒に勤行を上げた。
おふくろの頭の中は、さとえさんとの思い出で一杯だったろう。一方ぼくの頭の中には、久山との思い出が閃光のように浮かんでは消えた。
「さとえさんの家はリンゴ農家でね・・・まだ十五、六の頃、リンゴの樹の下で、いろんなことをお喋りして、一緒に笑ったものさ」
さとえさんとの思い出を尋ねると、母は目尻に涙をにじませながら、そう答えた。リンゴの樹の下で笑っている二人の少女の姿が浮かんだ。
久山、今朝、さとえさんというおばあさんがそっちへ行ったよ。少しボケてるけど、とてもいい人で、おふくろの親友なんだ。だから道案内をよろしく頼むよ。

5徒然

原田宗典

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