東日本大震災の記憶を記録するために久山さんが遺した写真を公開しています。

Team ShiromasaのWeb担当のMです。
今回は、久山さんの作品のひとつ「東日本大震災 – 津波 写真家・久山城正が遺した風景」について書かせていただきます。
2011年3月11日、その日は僕にしては珍しく京都へ出張していました。午後3時頃、新幹線で東京に戻ろうと京都駅に着いた時に地震ですべての便がストップしていることを知りました。
その時はあれほど大きな地震が起きたとは知らず、少し待てば再開するだろうぐらいに考えていました。
しばらくすると、会社の同僚から電話が入り、大きな地震がおきたこと、会社はもうすでに全員避難したこと、電話もメールもほぼ不通でやっとのことで僕の携帯につながったこと、連絡手段はtwitterが一番いいから家族に連絡すること、という内容でした。
そして家族に連絡を取ったところ、すぐにホテルを取って泊まる様に言われました。
それからなんとかホテルを探してチェックインし、テレビをつけて事の大きさにやっと気付き、その日一晩中ただ呆然と画面を眺めていたことを昨日のことのように覚えています。
翌12日に新幹線が動く保証はありませんでしたが、とにかくチケットがとれるならとって、東京に戻ろうとしました。
無事に12日に戻ることはできましたが、それから数ヶ月の生活はどこか非日常的で、あまりよく覚えていません。
街中の電気が消え、ペットボトルの水がどこも売り切れ、ガソリンもなくて早朝からスタンドに並ぶクルマの列を横目にながめていたり、そういったことは覚えていますが、それ以外はあまり覚えていません。

僕がそんなフワフワした状態で過ごしていたその頃、いてもたってもいられずに被災地に行き、できるかぎりのことをカメラに収めようとしたのが久山さんです。
その頃はまだ久山さんとは出会っておらず、最初にお会いしたのは震災から2年が過ぎた頃でした。

久山さんは被災地で撮影した膨大な写真をなんとか世の中に出したいと考えているとのことでした。
その頃は東日本大震災から2年、まだまだ震災直後の写真は生々しさを感じる気持ちのほうが強く、この写真を世の中に出していいものかどうか分かりませんでした。

久山さんの思いをようやく少しカタチにできたのは、東日本大震災から4年が経った2015年3月のことでした。
久山さんが現像した写真を発表する場として、サイトを立ち上げ、Facebookページも始めました。

東日本大震災 – 津波 写真家・久山城正が遺した風景
Facebookページ

そしてこの記事を書いているいまは震災から5年が経とうとしています。
その間、復興はどうだったのか、被災地の状況はきちんと伝えられてきたのか、伝えられなかったものはなにか、日々の生活に追われて震災の時の気持ちを忘れてはいないか。
最近は、そんなことをよく考えます。

検索動向

Googleによると「東日本大震災」の2012年1月から今までの検索動向は上記の様になります。
ボリュームが増えているのは3月。毎年3月に検索ボリュームが増え、その数は年々微減しているように見えます。

こんなことでいいのかな?久山さん、どう思います?

コメントを残す