久山と暮らした家。
神田川に程近い閑静な住宅街。遊歩道が桜で満開になる神田川が大好きでした。
家の庭には立派な梅の木があり、ちょうど今ごろの季節に可憐な白い花が咲き始めていたことを思い出します。
毎朝ランドセルの子供達がきゃっきゃ言いながら通学するのに合わせて愛犬くまが庭で元気に走り回る・・・そんな風に1日が始まる日当たりのとても良い家でした。
久山が大好きだったソファはリビングの窓すぐ近くにあり、のんびりくつろいだり窓越しの景色や暖かな日差しを楽しんでいました。
その家で、久山と私とくまが一緒に過したのは3年。そのうち、癌との闘病が2年弱。
久山を見送ってから2年。私とくまは、合計5年をそこで暮らしました。
こうやって文字にすると、一緒にいたのはたった3年か・・・と改めて驚くのですが、私のこれまでの人生のうちの大半をそこで過したような感覚があります。
色んな思いや経験がたくさんたくさん詰まっていた空間。
久山が亡くなってからも、間違いなくそこに彼が存在してくれている特別な空気感が流れていました。
それは毎週のように来てくれていた原田さん、大阪から何度も来てくれた鷲塚さんやしずかちゃん、そして訪れる多くの友人達も感じていました。今もその感覚はリアルに覚えています。
四十九日や写真を展示した1周忌のイベントも、友人に手作り料理をお願いして自宅で催しました。のべにすると300人以上の方に来ていただいた計算になります。
2013年12月の契約更新の時、貸主さんの都合であと2年という定期借家契約に変わりました。それは、久山が亡くなってからすぐのことでした。
<あと2年でここを出なければいけない>
ショックでした。この特別な空気感が残っている部屋から離れたくはありませんでした。でも大家さんのご都合ですから、仕方ありません。これには何か意味があるのだと、新しいステップなのだと自分に言い聞かせながら心の準備をしました。
とは言え、11月の3回忌と散骨を終えるまではそれに集中していたくて、引越しのことは何も考えたくはありませんでした。が、特別な3回忌と最高の散骨をハワイで終え、退室期限がカウントダウンで近づいていたある日、歩いて5分のところに希望の間取りに近い物件を見つけました。
それまで、何度かネットで検索していましたが全くの空振り続き。もう諦めていた時にそれは見つかりました。近くですから、くまの散歩圏内。神田川も近く、思い出の街並みから離れなくて済みます。新しい家の間取りは久山の好きだったソファも60インチのテレビもダイニングテーブルもレイアウトできます。即効で不動産屋さんに連絡して契約を進めました。・・・きっと久山が探してくれたのだと思います。そういうヒキの強い人でしたから。
思い出の家を離れる前には、本当に沢山の友人が次々と来てくれました。もう一度行ってもいいですか?と1週間に2度来てくださった方もいらっしゃいました。引越し前はそういうことで連日大賑わい。久山っぽいな、と思います。やっぱり特別な空間だったのですね。
そうして私はそうやって来てくれたり連絡を下さった皆さんに力をいただきました。改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!
今、新しい家のリビングでこれを書いています。
南側に気持ちの良い庭があり、暖かい日差しが降り注いでいます。
部屋全体と庭が見える特等席に久山の祭壇を作りました。
Shiro、どう? ここ気に入った?なかなかいいよね?
そういえば、引越しは今年東京にたった1日しかなかった大雪の日でした。
Shiro、いたずらしたでしょ!
Hitobon
ステキなお部屋だったんですね。でも新しい部屋が見つかって良かった。
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赤池さま
ありがとうございます。久山も一緒に来てくれたようです。1ヶ月経ってちょっとホッとしています。
Hitobon
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