先週、久山の愛娘ういり(愛里)と逢った。前に逢ったのは多分2003年、実に12年ぶりのことだ。
「前にお逢いした時はまだ高校生でした」
「そうかあ、岡山の操山会館で逢ったんだよな」
「そうです。ごぶさたいたしまして」
ういりはちょっと照れ臭そうに言った。そして久山の遺影にお線香をあげ、手を合わせた。その横顔と、久山の遺影を交互に見つめながら僕は涙ぐんでしまった。ういりはこの3月、長らくつきあってきた彼氏と入籍し、9月にハワイで挙式をあげたという。その結婚の報告を遺影に向かってしているのだろう。彼女の横顔はとても美しかった。そして久山の遺影もいつもより穏やかに微笑んでいるように思えた。
「よかったなあ、久山」
僕は、胸の中で呟いた。同じ年頃の娘を持つ父として、久山がいかに喜んでいるか、僕にはよく分った。
仁子さんの美味しい手料理(金目鯛のアクアパッツア)に舌鼓をうちながら、僕ら3人はひと時、久山の思い出話にふけった。実に楽しい喜びに充ちた時間だった。
「私、お父さんのこと、本当に何も知らないんです」
既に仲間うちでは伝説ともなっているような久山の逸話を初めて知って、ういりは瞳を輝かせていた。いい目をしているなあ、と僕はしきりに思った。
「私、もう30歳なんですよ」
ういりにそう言われて、僕は少なからず驚いた。そうか、そうなのか、とその時は遠い気持ちを味わうばかりだったのだが、後になってこの話をしてあげればよかった、と思いつくことがあった。
それは、もう20年以上も前に久山とも話した「人生時間」という話だ。
「久山、おまえ『人生時間』って知ってるか?」
「知らん。何やそれ?」
「その人の年齢をな、3で割るんだ。例えば30歳なら3で割ると10時。36歳なら3で割って12時――お昼だ。45歳だと15時――おやつ休憩」
「なるほどなるほど。じゃあ24歳とかは8時――まだ仕事、始まってないやん」
「そうそう、上手くできてるんだよ。60歳だと、20時――残業しすぎだろ」
「そうか・・・でも最近は真夜中まで残業する人も多いよなあ」
「そうだな。おれらは早めに仕事じまいして、夜は遊び呆けたいものだな」
そんな話をした時の僕らは36歳――ちょうど12時くらいの人生を生きてた。それから約20年、55歳つまり18時半で久山の人生時計は止まった計算になる。残業なんか放り出してふっと旅立ってしまったのは、いかにも久山らしい、と僕は思うのだ。そしてういりには、
「30歳なんて、まだ午前10時だ。何もかも、これからだぜ」
そう言って肩を叩いてあげたい。そんなふうに僕は思ったのだった。
これをお読みの皆さんもちょっと立ち止まって自分の年齢を3で割ってみてはいかがですか?何か思うところがあると思いますよ。
原田宗典
当時、岡山の高校生だった私。広告デザイナーの仕事が未知のもので、どんなものか知りたかった。それを叶えてくれたのは久山さんでした。久山さんは知人のデザイナーさんに会わせてくれたり、撮影のスタジオにも同行させてくれて、仕事のことを親身になって教えてくださりました。夏休みを利用した一週間もの間、ウイリちゃんのいるお家にホームステイさせてくださいました。(ウイリちゃんは当時まだ3歳、愛らしい盛り。) 親戚でもない知人のその子どもだった、繋がりのない私にまで、とても親切にしていただいたご恩は忘れません。ご冥福を心よりお祈りします。
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難波さま
このサイトをご覧いただき、また、温かいコメントをどうもありがとうございました。そんなことがあったのですね!懐かしいお話、久山はきっと「お~!懐かしいな!元気にしてるか~?」なんて言って喜んでいると思います。
ご丁寧に投稿を下さりありがとうございました。 -Team Shiromasa
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