久山との旅/フランスワールドカップの旅(8)  - 原田宗典

結局、カルカッソンヌのホテルでは一睡も出来なかった。まず変だったのはテレビ。怖いのをまぎらわそうとしてテレビをつけたのだが、どういう訳か受信状態が極めて悪く、嬉野の温泉でエロビデオを観たときのように画面がハレーションを起こして気持ち悪い画しか映らなかったのだ。それでも我慢して、サッカー中継をつけっぱなしにしていたら、真夜中に突然プツっといって切れてしまった。もうひとつ怖かったのは、バスルーム兼トイレである。最初に見た時から「なんだか怖いなー」と思っていたのだが、夜が更けてくるにつれてその恐怖心はますます膨れ上がった。扉を開けると、中に何かいるような気がして、入っていけないのだ。明け方、トイレに行きたくてたまらなかったのだが、最後まで僕は我慢した。それからもうひとつは電話である。怖くて仕方がなかったので、久山に連絡を取ろうと受話器を取ったのだが、どうしても通じない。お陰で僕は一睡もできなかった訳である。
朝6時半、外が明るくなるのを待って僕は部屋から出た。ホテルのはす向かいにマクドナルドがあったので、そこのトイレへダッシュで入った。一晩我慢したものを放出するとワールドカップで優勝したような気分だった。ハンバーガーと飲み物を買って外のベンチで食べていると、
「おーい、昨日怖かったなあ」
と、久山が声をかけてきた。
「いやー、一睡もできなかったよ」
「ワシもやー、なんやあの部屋」
「え、なんかあったの?」
「いや、なんもないけど、なにしろ怖いんや。おまえに電話しよおもて受話器取ったんやけど全然通じへんし、テレビも変やし」
「おまえんとこもか。オレんとこもだよ」
僕らはひとしきり夕べの話をし、こんなことなら一緒の部屋で寝ればよかたな、と互いを慰めあった。
午前10時、ホテルをチェックアウトして、僕らはカルカッソンヌを後にした。車中で話をすると、K林君は一晩中頭が痛かったし、I澤嬢の部屋もやっぱりテレビが変だったそうだ。全く悪夢のような街だった。
さて、僕らが次に目指したのは、フランス東南部の港町モンペリエであった。I澤嬢がこの街で開かれるイタリア対カメルーン戦のチケットを3枚手配してくれたのである。この時イタリアにはロベルト・バッジオ、カメルーンにはエムボマがいた。好カードだったので僕らはわくわくしながらモンペリエの街に着いた。
夕方だった。試合開始時間まで3時間くらいあったので、僕らは一旦シャワーを浴び、ひと眠りしてからホテルのロビーに集合した。そこから競技場行きのバス乗り場まではモンペリエの繁華街をつっきって歩く。
「こらすっごい騒ぎやなー」
久山はそう言いながら何枚かシャッターを切っていたが、街中大変な大騒ぎである。フランス人、イタリア人、カメルーン人、どこの国の人だかわからない人達、そこらじゅう、人、人、人・・・。誰もかれもが酔っ払って笛や太鼓を鳴らし、歌い、もうなにがなんだか訳わかりませーん、といった状態。途中、石畳の広場ではイタリア人とカメルーン人が6対6のミニサッカーをやっていた。
「おい、あの審判やってるの川平慈英やないか」
と久山が言うので目を凝らすと本当に川平慈英だった。
やっとのことでバス乗り場までたどり着くと、僕ら3人はバラバラになってすし詰めのバスに乗り込んだ。K林君とはここで別れて、それきり会えなかった。僕と久山はかろうじてスタジアムの前で再会できたので
「試合が終わったらこのBの出口のところで会おうや」
「わかった」
と言ってそれぞれの席に分かれた。
モンペリエのサッカーグランドは実に美しかった。夜の試合だったからだろうか、照明が緑の芝生をキラキラと輝かせていて、グランドが絵のように見えた。僕はこんなにも美しいところにいる自分に感動して、知らず知らず涙が出た。
そして、イタリア対カメルーン戦が始まった。イタリアには、デルピエーロというスター選手がいたのだが、やはりロベルト・バッジオの存在感が群を抜いていた。華があるというのはこういうことをいうのか。コート上には計22人の選手が入り乱れているのに、バッジオだけに光が当たっているように見えるのだ。いついかなる時もどこにバッジオがいるのかわかるのだ。眺めているうち、僕はうっとりとなった。たぶん久山もこのスタジアムのどこかでうっとりしていたに違いない。
後で聞いたら、試合に見とれていて全然写真を撮らなかったと言う。
「バッジオかっこええなー!」
試合後Bの出口で会ったときの第一声がそれだった。
「人間じゃないみたいだったな」
「ほんまやなあ。マドンナもしびれる訳や」


僕らは興奮して話し合いながらバス乗り場へ向かった。というかバス乗り場へ向かう人の流れに押し流された。とにかくものすごい人出だった。あの人ごみの中でよく離れ離れにならなかったものだ。1時間ちかく人ごみに揉まれた末に、僕らはようやく同じバスに乗り込んだ。僕はバスの1番後ろの席に座り、背中合わせの席に久山は座った。僕の向かいにはフランス人の青年2人組が座っていた。そのうちの1人が
「ジャポネ?」
と話かけてくる。
どうやら先日の日本対アルゼンチンン戦はいい試合だったと言っているらしい。その間もう1人の青年が、ほぐしたタバコになにやら黒い怪しげなものをまぶして紙で巻きなおしている。そして火をつけ、自分で一服した後「ほら」と言って僕に差し出してきた。バスの中なのになんという大胆なヤツ!僕は一瞬おじけづき、ノンと一旦は断ったが、どうしても吸えと薦めてくるので、それを受け取った。すると背後の久山が、
「お!なんやエエ臭いさせとるやんか。まわせや」
と声をかけてきた。他の乗客たちは皆にこにこしていて誰も何も言わない。何しろお祭り騒ぎだ。それにいい試合を見た後だ。乗客の中にはおまわりさんの姿もあったが、とがめるどころか「オレもほしいな」という顔をしていた。
フランス人の青年がまわしてくれたそれが一体なんだったのか今だにわからない。わからないけれども、ものすごくいいものだったらしくて、僕も久山も一服で訳がわからなくなってしまった。
「おい原田、降りるで」
「え、もう?」
久山に促がされてバスを降りると、そこは全然知らない場所だった。目的の停留所の手前だったのか、乗り過ごしたのか全くわからない。わからないけど街はものすごく綺麗に見えた。歌声や笛や太鼓、騒音までもがすごく綺麗に粒だって聞こえる。
「うわー、なんやこの世界はー」
僕と久山はげらげら笑いながら街の中心地と思われるほうに向かってふらふらと歩いて行った。
「おい久山ここどこだ」
「そんなんしらーん、どこでもええやんけー。うわーなんでこんなに綺麗なんやー」
モンペリエの街並みは基本的に真っ白い建物である。外灯はオレンジ色でこれらの白い建物が非常に美しく見える。海が近いので潮風が心地よい。道行く人々は皆幸せそうである。こんなに幸福な夜は、生まれて初めてだった。久山の顔を見るといつもより3割がた男前に見える。
「久山、おまえかっこいいな」
「おまえもやで、かっこええわ」
僕らは笑いながら同じところをぐるぐる歩き回った。そして時々立ち止まってはお互い褒めあった。
11時すぎだったろうか、いつの間に声をかけたのか、久山は若いとびっきり美人の女の子となにやら話し込んでいる。たぶんハーフなのだろう。浅黒い肌に抜群のプロポーション。地元の不良少女といった感じだ。フランス語なんか全然できない筈なのに、さすが久山。その子と連れの男の子2人と楽しそうに話し込んでいる。僕もそばに行って話の輪に入ろうとしたが、まるでちんぷんかんぷんだった。だけどその子があんまり綺麗なので、身振り手振りでやりあっているだけですごく楽しい。僕らは人通りの少ないショッピングモールの石畳に座り込んで話していた。そのうち男の子2人がサッカーボールを持ち出して蹴り始めた。巨大なショーウインドウのまん前である。
「なんだか危ないなあ・・・」
と思った次の瞬間、1人の男の子が蹴ったボールがものすごい勢いでショーウインドウにぶつかった。
「バーン!」
2m×4mくらいのショーウインドウのガラスが粉々に砕け散った。
「やっべ逃げろ!」
僕らは蜘蛛の子を散らすように一目散で逃げ出した。
やみくもに走っただけなのに、30分後僕はいつの間にかホテルの前にいた。オレンジ色の外灯に照らされた街並みは相変わらす美しく見えた。その美しい街並みの中からやがて久山が現れた。
「よお、無事やったか。おもろかったなー」
僕らは肩を組んでホテルの部屋に戻り、ビールで祝杯をあげた。
もし人生で一晩だけその日に戻れるとしたら、このモンペリエの一夜に戻りたいと僕は思う。たぶん久山も同じ思いなんじゃないかな。
つづく

原田宗典

※掲載写真は、ホコリを被っていたポジのベタ焼きをスキャンしたものです。このクオリティが限界・・・久山さんお許しを! -team shiromasa

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