久山との旅 / フランスワールドカップの旅(2) 原田宗典

最初に話を持ってきたのは、某大手出版社の女性誌編集者K林君だった。
1998年の3月のことだ。
K林君は僕よりも7、8才若い、30代初めのサッカー好きの編集者だった。彼は、創刊したばかりの女性誌の編集に関わっていたのだが、なんとかしてサッカー寄りの記事を書こうとして必死だった。僕のところへ来たのも、なんだか的はずれのインタビューを取りに来たのが最初だった。

「中田英寿の魅力について」
僕の他にも何人か著名人が答えていた筈だが、いずれにしてもまるきりサッカー音痴の僕のこところへ来るなんて、的はずれもいいところだ。はずれすぎていてかえって気になる取材だった。だから答えてみようという気になった訳だ。
偶然、というか必然的な気もするのだが、僕とK林君は共に美輪明宏さんのファンだった。しかも2人共、美輪さんのお宅にお邪魔したことがある、というちょっと特別な共通点を持っていた。K林君の場合は、数年前お宅に伺ってインタビューをしたのが縁で、なぜか美輪さんに気に入られて、たびたび呼びつけられるような仲になったという。確かにK林君は華奢な二枚目で、いかにも美輪さんがかわいがりそうな男の子であった。
「お気に入りの編集者って訳だね」
と言って僕が嫉妬半分に茶化すと、K林君は
「いやー、そんなんじゃないんですよ」
などと言ってまんざらでもなさそうな顔をしていた。
そんな風にして美輪さんの話題で盛り上がり、すっかり意気投合したところへ、これもまた偶然に久山が訪ねてきた。前の週に撮った「嘘の女王」の写真を、彼は携えて来たのだった。
もちろんデジタルではなくてフィルムだった。8X10という大きいフィルムで撮ったものを紙焼きにして持ってきたのだった。現像の段階で何か特殊な技法を使ったらしく、何パターンか見せられた「嘘の女王」の写真は、実に独特の仕上がりだった。絵のような写真、とでも言うのだろうか。おそらくモノクロームの紙焼きに彩色を施したのだろう。中でも瞳を閉じた美輪明宏の写真は異彩を放っていた。それを感じたのは僕ばかりではなかった。一緒に写真を眺めていたK林君も
「この・・・目をつむっているやつがいいですね」
と言っていたし、撮った久山本人も、
「そやろ!いけてるやろ」
と我が意を得たりと言った声を出した。
僕たち3人はしばらくの間ぼーっとなって、この不思議な写真を眺めていた。やがてK林君が、ふと我にかえったような顔つきになって、唐突にこう言い出した。
「6月のフランスのワールドカップに取材で行きましょうよ。この3人で!」
僕と久山はぎょっとして互いの顔を見交わした。
「あなた近いうちにフランスに行くことになるわよ。きっと」
あの時、美輪さんが口にした言葉が僕らの脳裏をよぎった。そのことを話すと、K林君は少年みたいに瞳を輝かせて、
「それこそお導きです!そういうことなら美輪さんの予言を的中させましょうよ!僕、うまいこと企画立てますから。フランスへ行きましょうよ。ワールドカップの取材旅行!」
興奮した口ぶりでそう言った。僕と久山は半信半疑ながらも、
「いいね!」
「えーやん!ほんまにワシも行ってええんか」
などと言って相槌を打ち、彼の気持ちを煽り立ててやった。3人共、何やら不思議な熱に浮かされたような状態だった。
それから先は、文字どおりとんとん拍子で話が進んでいった。おそらくは僕や久山のあずかり知らぬところで、K林君がひとりで奮闘してくれたのだろう。彼は翌週、手ごわい編集長を説き伏せて企画を通した、と連絡をよこした。更にその翌週、3月の終わりごろには『フランス・ワールドカップツアー』の詳細なスケジュールを作成して、FAXで送ってきた。全く何かにとりつかれたかのような手際の良さだった。
僕と久山はこのFAXを長野のパラリンピックの取材先で受け取った。
「パラリンピックの次はワールドカップか。嘘みたいやなあ」
本当に嬉しそうに笑っていた久山の顔が忘れられない。

それから約2ヵ月後の6月、僕と久山とK林君の3人は、フランス・ワールドカップの旅へと本当に旅立った。全く夢みたいだった。僕と久山が一緒にフランスワールドカップの日本代表戦を観るなんて!フランスに向かう飛行機に乗ってからも、まだ信じられない思いだった。
最初に訪れたのは、フランス南部の小都市トゥールーズだった。パリのオルリー空港で国内便にトランジットして、1時間半ほど。行ってみてわかったのだが、トゥールーズという町はロケット産業がさかんな土地柄だった。僕ら一行も着いて間もなく、巨大なロケットの胴体を運ぶトラックを目撃した。一種独特の奇妙な光景だった。
さて、僕ら一行をトゥールーズの空港で出迎えてくれたのは、日本人女性のガイドI沢嬢とその夫、ブリス君の2人であった。I沢嬢というのは30代の日本人女性で、なんでも関西の方のヤクザの組だかお寺だかの出身で、20代の中ごろに単身、フランスに渡ったという。フランス語が一言もしゃべれない状態でフランスに着いた彼女は、ベビーシッターの仕事をしながらもともとの目的であったシャンソンの教室に通い始めたのだという。ここでまたひとつ、不思議な偶然の一致が僕らを驚かせた。というのも、聞けば、I沢嬢は美輪明宏さんに憧れて無謀にもフランスに渡ったのだという。
「どえらい奇遇やな」
久山は目を丸くして驚いていた。
一方、彼女の夫のブリス君というのは、植民地出身のフランス人なので、肌の色は浅黒く、どこか不良っぽい気配のある青年だった。彼は新しいプジョーのセダンを借りていて、運転手をつとめてくれた。それから肝心の「日本・アルゼンチン戦」のチケットの手配が、彼の最初の大仕事だった。なにしろこの「日本・アルゼンチン戦」のチケットというのは、大会直前に足りないことが判明して大混乱に陥った曰くつきのチケットだった。チケットが手に入らないままフランスに渡ったサポーターは2万とも3万とも言われていて、僕らもそんなチケット難民のひとりだった。K林君は出国前から気をもんでいたが、こればかりはもう運を天に任せて待つしかないことだった。
午後8時半、トゥールーズ郊外の逗留先に到着。僕ら3人がやっかいになる先は、ブリス君のお姉さんのアパルトマンであった。いわゆるホームステイ、悪く言えば居候というやつである。聞けばその日から3日間、お姉さんは知人宅に泊まりに行き、部屋は僕ら3人に明け渡してくれるのだと言う。
「へー、いい部屋やん」
アパルトマンは5階建ての簡素な建物で、東京に置き換えるなら、私鉄沿線に建つ都営住宅といった趣である。室内もごく普通の2LDKで、なにやら親戚のおばさんのうちに泊まりにきたような気分。フランスのアパルトマンと言われると、どうしても「ゴージャス」あるいは「セレレガーンス」な部屋を思い浮かべてしまいがちだが、フランス人の皆がみんなそんなセレブな生活をしている訳ではない。大半の人々の住宅事情は、日本のそれと大差ないようである。ただ違うのは、室内の家具の配置や調度品の飾り方。つまり生活空間の演出の仕方が、やはりどことなくフランス風なのである。まあちょっとしたことなのだが、例えばダイニングテーブルの上を見ると、花を飾る代わりに、ガラスの器に盛ったブラックチェリーが無造作に置いてあったりする。
「おおお、いかにもフランスやんかー」
などと言いながら久山はブラックチェリーをもりもり食べていた。決して高価ではない贅沢とでも言おうか。フランス人はそういう演出を暮らしの中に施すのが実に上手い。
さて、部屋に一旦荷物を置いた僕らはすぐにまた車に乗り込み、トゥールーズ市内へ食事に出かけた。既に午後9時近いのに表はまだまだ明るくて、夕方の5時くらいの雰囲気。この時期のフランスは日が長いとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。車窓から夜の町をうかがうと、あちこちに掲げられたワールドカップ関連のポスターや横断幕が目に付く。車で走ること約10分。繁華街からはやや外れた静かな通りの「REX CAFÉ」に到着。扉を押して中に入ると、いきなりバカでかいカンガルーの人形が飾ってある。
「なんでやねん」
店内の装飾は、どういう訳かオーストラリア一色。後で聞いた話では、ここのオーナー(クロコダイルダンディみたいなカーボーイハットをかぶってレジに座っていた)は生粋のフランス人なのだが無類のオーストラリア好きで、趣味が講じてこういう店を作ってしまったのだと言う。なんや訳わからんなあ、と久山と言い交わしながら進むと、暗幕で仕切られた店の奥から、わっと歓声が聞こえてきた。奥は映画館のような雰囲気。大型のスクリーンには「フランス対南アフリカ」の予選中継が映し出されていて、客たちは大騒ぎでこれを楽しんでいる。テーブルについた僕らも、地元の人たちと同じようにスクリーンを見つめつつ夕食をとったのだが、心中なにやら複雑なものがあった。トゥールーズに着くなりオーストラリア風の店に連れていかれ、フランス対南アフリカを試合を目の当たりにしながらリブステーキを食ったりするなんて。
「わしゃもうわけわからんわ。原田、ウエイトレスの女の子の名札見てみ」
「え?何が」
言われて名札を見てみると彼女は「ソレン」という名前だった。僕はますます混乱して訳わからなくなり、思わず三波春夫に変身して「万国よさこい音頭」をハ~ンと歌いたくなってしまった。
食事を終え、スクリーン上でフランスが勝利するのを見届けてから表へ出ると、ようやく夜になっていた。腹も満ちたせいか、車に乗り込むなり猛烈な睡魔に襲われる。
「なあ、わしらほんまにフランスに来とるんやな」
久山の声がどこか遠くで聞こえた。

つづく

原田宗典

※掲載写真は、ホコリを被っていたポジのベタ焼きをスキャンしたものです。このクオリティが限界・・・
久山さんお許しを! -team shiromasa

12 Comments

  1. 濃密な時間をいっぱい二人で過ごしてきたんじゃなぁ・・・羨ましい、が喪失感もまた半端なものではなかろう・・・“セレレガ~ンス”ねぇ・・・“ダ~バン、セレレガ~ンスドロモディアム”アラン・ドロンのCMが甦ってきたで(笑)

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    1. Hayakawaさん
      いつもありがとうございます!ほんとに嫉妬するほど羨ましいです。原田さんが、久山の真似してしゃべりながら原稿を作るんですよー。そんな時はほんとに久山が傍にいるみたいでいつも笑いころげています。全部ほんとうの話だからスゴイですよねこの2人。ソレンなんて!ね
      Hitobon

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  2. あ~面白かったw 私も原稿作らなきゃですね。ひとぼん、ごめんちゃい! なかなか時間作れず。。。

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  3. またこうして原田さんの文が読めて本当に嬉しいです。ありがとうございます。
    続きを楽しみにしています。

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  4. 小学生のときに原田さんのエッセイに出会い、作品を漁り続けてはや20年。久山さんの撮った写真がおまけとして収録されている作品も手元にあります。こうして再び原田さんの文章に巡り会えたのも久山さんの人徳なのかもしれませんね。

    私も高校生の頃、大切な人を失いましたが、そのときに住職さんに言われたのが「本当の死は、故人を忘れてしまった時だ」ということでした。
    忘れない限り生き続ける、という考えに随分救われた気がします。久山さんも皆様の中で行き続けて行くのでしょう。よければ私もその片隅に置いてください。

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    1. ainessさん
      コメントありがとうございました。久山の撮った写真がおまけの本「本家スバラ式世界」ですね。昨日、その掲載写真の紙焼きが出てきました。(原田さん似の馬の写真も!笑)この本は表紙のデザインが原研哉さん。3人は高校の同級生なんですけどそんな本があるなんて羨ましいですね。
      忘れない限り生き続ける・・・心に沁みました。心の中で生き続けていつまでも笑わせてほしいと思っています。ありがとうございました。
      Hitobon

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  5. 大分過去の投稿へのコメントとなってしまいましたが、大丈夫でしょうか。

    こちらの記事内で書かれています久山様が撮影された美輪明宏様のお写真、
    掲載されている現段階で入手可能な印刷物等、ございますでしょうか。

    是非、拝見してみたいと思いましてご質問させていただきました。

    お手数をおかけいたしますが、ご回答いただけますと幸いです。

    よろしくお願いいたします。

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    1. ichiさま
      昨日いただいたコメントに気がつきました。遅くなって申し訳ありません。
      美輪さんの写真、こちらへの掲載は難しいので過去の印刷物など見ていただけるものがあるかどうかお調べします。
      少しお待ちいただけますでしょうか?
      よろしくお願いします。
      Hitobon

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    2. 原田さんにお聞きしたところ、講談社の雑誌FRaUの連載「ゆめうつつ草紙/第1回嘘の女王で使われている。ワールドカップの年なので、1998年の5月か6月号ではないかと思う」とのことです。随分前のものなので古本屋さんなどで見つかると良いのですが、、、。
      Hitobon

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      1. お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
        調べていただきありがとうございました。大変お手間をおかけいたしました。
        気長に探してみます、ありがとうございます。

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