久山との旅 フランスワールドカップ(1) 原田宗典

久山よ、あれからもう17年も経つのか。うそみたいだなあ。1998年6月、フランスワールドカップの旅、忘れられないよな。おまえも、あの旅は最高やったなーと言っていたもんな。
フランスワールドカップの話をするのには、まず最初に美輪明宏さんのお宅にお邪魔したところから話さなければならない。とても不思議なことなのだ。

当時、僕はある女性雑誌に依頼されて、短い大人の童話みたいなものを連載することになった。その第1回目は「嘘の女王」という話だった。ビジュアルはどうしますかと編集者に聞かれて、僕は久山の写真がいいと答えた。じゃあ何を撮るかという話になった時、僕の頭に浮かんだのは美輪明宏さんだった。頭の中には、「嘘の女王」を演じる美輪さんの姿が浮かんでいた。それを久山に撮ってもらおうと考えたのだ。
「嘘の女王」というのはだいたいこんな話だ。昔々あるところに嘘の女王がおりまして、彼女は一度でも本当のことを口にすると命を失ってしまう定めにある。何から何まで嘘で固めた「嘘の国」に住む嘘の女王。そんな彼女がある舞踏会で恋におちてしまいます。お相手は隣国「真実の国」の真実の王子。彼は一度でも嘘を口にすると命を失ってしまう定めにあります。そんな2人は恋におちて・・・まあ、だいたいそんな話だった。
この「嘘の女王」を美輪明宏さんに演じてもらって写真に撮る――それはごく自然なことのように思えた。しかしこの依頼を受けてくれるかどうかは誰にもわからなかった。たぶん断られるだろうなと思いながらも、一縷の望みを託して僕は手書きの原稿を送った。するとそれがよかったのか、2週間ほどして撮影OKの返事が来た。僕と久山は、小躍りして喜んだ。撮影場所は、都内にある美輪さんの自宅でとのことだった。僕らはますます喜んだ。だって美輪明宏の自宅へ行けるなんて!もともと美輪さんのファンだった僕はどきどきわくわくしながら撮影の日を待った。
その日は2月の寒い曇った日だった。僕と久山と編集者の3人は、都内某所の住宅街を地図を頼りに歩いていった。小雨が降ってきた。
「あれやないか?」
久山が指さす方を見ると、見たこともないサーモンピンクのジャガーが停まっていて、そのむこうに瀟洒な洋館が見えた。ピンクのジャガーに洋館――美輪明宏以外にこんな家には住めないし、こんな車には乗れないだろう。
僕らは3人共しゃっちょこばって玄関に近づき、呼び鈴を押した。家の中の遠くの方で「キンコン」と美しい鐘の音が響いた。いかにも美輪明宏の家の呼び鈴の音である。僕らは3人ともカチコチに緊張していた。やがて扉が中から開くと、そこにはエルキュール・ポワロみたいなマネージャーが立っていた。
「いらっしゃいませ」
来意を告げて中に案内されると、まず目に飛び込んできたのは、1枚の絵だった。それは19世紀末のアールヌーボーの画家タマラ・ド・レンピッカの絵だった。赤と黒を基調にした女の肖像画で、それはいかにも美輪明宏に似つかわしい絵に思えた。
「こちらでお待ち下さい。美輪はすぐ参ります」
僕らが通されたのは、豪華なシャンデリアが下がった応接間で、3人掛けのアールデコのソファが1脚置いてあった。その向かいには、肘掛の先がライオンの頭になっている巨大なひとり掛けの椅子が置いてあった。美輪明宏以外は座れないような椅子である。あとで聞いたら、その椅子は舞台で使用したものをそのまま家に持ってきたものだという。
「おい、すげえ椅子やな」
「大きい声を出すな」
「お、こっちもすげえな」
久山はすっかりカメラマンの本能に従って、応接間のあちこちを見て回っていた。緊張していた僕はそれを止めるのに必死だった。しかし今思い出してみると、さすが久山。相手が誰であろうと写真を撮る以上は決して臆することはないのだ。僕はそんな久山をいつも羨ましく思っていた。
やがて階段に足音が響いて、美輪明宏さんが登場した。
「ごきげんよう」
会釈しながら例の巨大な椅子に座る美輪さんの姿は、まるでお芝居の一場面のようだった。その手には僕の自筆原稿が握られていた。読んでくれたんだ。そう思うと気絶しそうなほど嬉しかった。僕と編集者が今回の連載の意図などを話してる間、久山はじっと美輪さんのことを観察していた。そしてものも言わずに立ち上がり、てきぱきと照明の準備をし始めた。どういう風に撮るのかあらかじめだいたい決めていたらしい。
「その椅子、すごくいいんで、座ったまま撮りましょう」
久山はそう言って、準備を整えると、手早くポラを切り始めた。
「今度は目をつむってもらえますか」
久山は気軽に色々と美輪さんに話しかけるので、傍にいた僕ははらはらした。けれど久山の言い方は、遠慮はないけど嫌味ではない。そういう風に話しかけられるのを美輪さんもむしろ喜んでいるようだった。
撮影時間は、およそ30分。あっと言う間だった。
その後30分くらい雑談を交わしたのだが、その時どういう話の流れだったか、フランスの話になった。美輪さんが旅したフランス、なかでもパリの話は面白かった。なにしろサルトルやボーボワールにも会ったというのだから驚きだ。僕はまだフランスには行ったことがない、と言うと美輪さんは意外そうな顔をして僕を見た。そして考えるより先に言葉が出てくるような口調でこう言った。
「あーら、そうなの。でも、あなた近いうちにフランスに行くわよ」
「え、僕がですか?」
「そうよ。必ず行くわ。私にはわかるの」
どうしてそんなことを言うのか美輪さん自身にもよくわからないらしかった。

美輪さんの予言が現実味をおびてきたのは、その2週間後のことだった。

つづく

原田宗典

10 Comments

  1. 登場人物とエピソードがパワフルで、勢いに駆られて一息に読んでしまいました。
    その後もったいない感じがして、2度目、3度目、ゆっくり読みました。
    「おい、すげえ椅子やな」って、飾りがなくてなんかいいですね(笑)。
    続きが楽しみです。

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    1. URさん、いつも読んでいただきありがとうございます。コメントはつど原田さんに伝えています。「おい、すげえ椅子やな」ってほんとにそのまんま久山が言ってる感じが出ていて笑います。今回は長い連載になるらしいので楽しみにしていてください。
      -Team Shiromasa

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      1. ご丁寧な返信をくださり、ありがごうございます。
        久山さんの作品や思い出など、他のページもゆっくりと拝見させていただいています。
        大きな遺影のお話や、トレーニング機器のお話にお人柄を感じて
        大勢の方に愛されたことが強く伝わってきます。
        素敵なサイトに出会えて、感謝です。

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    2. URさん、
      他ページもご覧いただいているとのこと、ありがとうございます。
      これからも頑張って続けていきますのでよろしくお願いします。

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  2. 原田さんの本を初めて読んだのは今から20年以上前の中学生の時です。我輩は苦手である、というエッセイでした。原田さんの小説やエッセイはその後も気になりいろいろ読んでいます。今回たまたまこのサイトに出会いました。久しぶりに原田さんの書く文章が読めて嬉しかったです。また楽しみにしています。

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    1. ちいこさん、
      昨日、原田さんが続きの(2)を書いている時にいただいたメッセージを伝えました。とっても嬉しそうでした。ありがとうございました。
      Team shiromasa

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