先日、早稲田松竹で「アクト・オブ・キリング」という映画を観た。フランス人の映画監督がインドネシアを舞台に撮ったドキュメンタリー映画だ。
『胸が悪くなるような傑作』という評判だったのだが、確かに評判どおりの内容だった。題名からもわかるように、この映画は本物の殺人者が自分の犯した殺人を演技して見せる・・・その様子をフランス人監督が撮ったものであった。
僕は全く知らなかったが1965年、インドネシア国内で共産主義者たちが大虐殺されるという事件があった。事件と言っても、1日や2日の話ではない。虐殺された共産主義者の数は250万人とも300万人とも言われている。これはとてつもない大虐殺だ。弾圧したのは政府や軍の関係者ばかりではなく、右翼の私兵たちや「フリワン」と呼ばれる地元のヤクザたち、そして普通の市民たちまでこぞって共産主義者狩りをしたのだそうだ。映画で主役となっているのは当時フリワンだったおじいさんで、今はジャカルタで隠居暮らしをしている。このおじいさんが「毎晩悪夢にうなされるんだ」と告白するので、フランス人監督が「だったらあなたの経験を映画にしてみてはどうですか」と持ちかける。おじいさんは「それはいい考えだ」と賛同し、自分の行った虐殺行為を映画に仕立て上げるべく行動する。
映画は冒頭、非常に美しい場面から始まる。夕暮れの浜辺。そこに墜落した飛行機の頭部が転がっている。機体の鼻先には穴が空いていて、そこから砂浜に向かって板が渡してある。穴の中から美しい衣装を着た女性たちが、踊りながら次々に現れる。これはおじいさんの抱く幸せな幻想のシーンだ。他にも、ジャングルの中に流れ落ちる滝の前で美女たちに囲まれたおじいさんが「ああ、私は許された。なんて美しいんだ。なんて幸せなんだ」などと叫ぶシーンもあった。でもこれら美しいシーンは全て彼の幻想で、現実のものではない。シーンが変わると、ごちゃごちゃしたジャカルタの市内の様子が映し出され、薄汚い現実を思い知らされる。とある雑居ビルの屋上に、白いスーツを着て黄色い帽子を被ったおじいさんが現れる。そしてこう説明し始めるのだ。
「ここの床は血で真っ赤だった。手っ取り早くたくさん殺す為にこの鉄線を使ったのさ。一方をここの柱に結んで、共産主義者の首にひと巻きし、こっちへ行ってぐいーっと引っ張る。あっという間に死んじまったよ」
おじいさんは身振り手振りでその時の様子を再現し、それを自分たちのビデオカメラで撮影し、面白がって自分の孫たちに見せたりする。「ほら、おじいちゃんだよ。こうやって千人も殺したんだ」と自慢したりするのだ。
後は胸が悪くなるのでこれ以上説明したくない。とにかく恐ろしい映画だった。見ない方がいいと思う。じゃあなんでこんな映画の話をしたのかと言えば、ジャカルタの市内の風景が映ったときに「あ、ここ知ってる」と思ったからだ。同時に、一緒にジャカルタを訪れた時の久山のことを思い出した。
1996年のことだ。某女性誌からJALの協賛でインドネシアに旅行してみないかと誘われた僕は、カメラマンとして久山が一緒に行ってくれるなら行くという条件で引き受けた。変なことを覚えているのだが、この企画の打ち合わせは山の上ホテルの天ぷら屋で、いちじくの天ぷらが出てきたのを久山がえらく喜んでいた記憶がある。「ワシ、くだものの中でいちじくがいっちゃん好きや」と嬉しそうに言っていたのを思い出す。
確か6月だったと思う。僕と久山はJALのビジネスクラスに座って、金持ち気分でジャカルタの空港に到着した。空港からジャカルタ市内までは30分ほどだったろうか。
「へー、これカムリやんか。カムリ結構ええなー」
車好きの久山はそんなことを言ってはしゃいでいた。高速からはジャカルタの市内が一望されたが、それは一種異様な光景だった。くすんだレンガ色の屋根の平屋がびっしり密集しているのだが、そのところどころに全く唐突に超高層ビルがにょきにょき屹立している。しかもどのビルのデザインも「それ、さかさまなんじゃないの?」と言いたくなるようなとんでもない形をしているのだ。なんの規制もなく、やりたい放題に建てられたビル、という感じがした。
「あれ、倒れるんとちがうか。めっちゃ怖いやんけ」
と言いながら久山は何枚か写真を撮っていた。
高速を下りると埃っぽい市街地が暫く続く。バス停に立っている人たちや、道端でモノを売っている人たち、みんなが立ち上がって同じ方向を見ている。何を見ているんだろう? それは夕陽だった。バリ島でもそうだったが、インドネシアの人たちは仕事が終わると「ああ、今日も1日お疲れ様」とでも言うように、みんなで夕陽を眺めるのだ。猥雑な町の風景の中で、唯一美しいのが夕陽なのだろう。それは切なくも、ある意味羨ましい習慣に思えた。
ホテルに着いて、さて夕食に出かけようという段になると、ガイドの人に「外へは出ない方がいいですよ」と言われた。いつも好奇心旺盛な久山は、「なんでや。面白そうやんけ。外へ出たいがな」と言って聞かない。
「いや、危ないんですよ。ジャカルタのチンピラは、観光客と見ると容赦がないんです。いきなりナイフで刺して、財布を奪って逃げたりするんです」
ガイドに人は真顔でそう言った。
「じゃあちょっとだけ。道渡って向こうのホテルのレストランに行くぐらいならええやろ」
久山はそう言って先に立って、表に出て行った。外はすっかり日が暮れていた。街灯が少ないせいか、通りは薄暗い感じがした。その薄暗い通りを薄黒い肌の人たちが目をぎょろつかせながら歩いている。すれ違う男が全員悪人に思える。なま暖かい風が吹いていて、町にはどこか殺伐とした空気が漂っていた。
「なんか本当に刺されそうな気がする」
「大丈夫や。それにしても、横断歩道いうもんがないな。みんな勝手に渡っとるな。ほら原田、ちゃっちゃと渡らんとひかれるで」
「おーい、待ってくれよ久山」
そんなことを言い交わしながら、僕らはアブナイ感じのする通りを渡り、向かい側のホテルのレストランに入った。どこに行ってもそうなのだが、久山はあの愛嬌のある笑顔で誰とでも気楽に話す。レストランのウェイトレスともすぐに仲良くなり、その子の勧めてくれた料理を頼んでいた。一方僕は一言も話さず、出されたものをただ黙々と食べるばかりだ。
「なあ原田、さっきはああ言われたけど、ちょっと冒険に出かけてみないか?」
「ええー、嫌だよー」
「ええやん、ちょっとぐらい刺されたって。大丈夫や」
「俺は行かないよ。刺されると痛いもん」
「ワシは刺される前に避ける自信あるで。ほな一人で行こかな」
「えー大丈夫かお前」
「大丈夫、大丈夫。ほんの1時間や。その辺流してくるわ」
そう言って久山はカメラを手に夜の町へ消えて行ってしまった。その後ろ姿を見送ったときの風景が、冒頭に述べた「アクト・オブ・キリング」のジャカルタの町の風景だったのだ。あの後、久山はジャカルタの夜の町で何を見つけ、どんな体験をしたのだろう。何か面白い体験談をしてくれたような気もするが、今となっては上手く思い出せない。もっとちゃんと話を聞いておけばよかったなと、今ごろになって僕は思う。
翌朝、僕と久山は、ジャカルタ郊外のアンチョールという港に向かった。ここから高速艇で2時間、目指すのはプロウスリブのパンタラ島。プロウスリブとは、インドネシア語で「千の島」という意味。実際には数百の島があり、その中の十島程度が有人の島なのだそうである。僕らが目指すパンタラ島は、JALが開発したリゾートアイランドでプロウスリブの中では1番開発が進んでいる。ガイドの人からそんな話を聞いた後、高速艇に乗り込む。
海が青い。30分ほど走ると、青い水平線の彼方に平たい石のような島々がぽつん、ぽつんと見えてくる。
「これはマイルドセブンスーパーライトの世界やな」
と久山は言ってたが、まさにその通り。覚えている方もいるだろうが、当時マイルドセブンスーパーライトの広告は、ここプロウスリブを撮ったものだった。
「おい久山知ってるか。よく外国の漫画なんかで無人島にヤシの木が1本生えているという絵を見たことがあるだろ。あれ、本当らしいぜ」
「本当ってなにがや」
「ひとりの人間が無人島で生きていく為には、ヤシの木が1本生えていればなんとかなるらしいよ。人類はヤシの木1本に頼って太平洋を転々と横断したらしい」
「ヤシの実だけで生きていくんか?」
「いや、魚を釣るんだろ。で、水分はヤシの実。それで1人生きていけるらしいぜ」
「へー、ワシらいろんなもん持ちすぎやな」
僕らはそんな話をしながら甲板で青い海を眺めていた。朝、早起きだったので、次第に眠くなってきて、2人ともカンカン照りの甲板で寝てしまった。目が覚めたのは1時間後。
「アチチアチチ」
2人共思いがけず、体中真っ赤に日焼けしてしまった。痛い痛いと騒いでいるところへ、目前に見える島から何かが飛んできた。排気量の大きなバイクのような音を立てて、パラグライダーのような乗り物が船に向かって飛んでくる。
「なんやあれ?」
よく見るとそれは翼の付いたリヤカーだった。空飛ぶリヤカー。これはパンタラ島のアクティビティのひとつで、スタッフが僕らを歓迎に来てくれたらしい。しかしその姿は蚊トンボのようであり、今にも落ちるんじゃないかとフラフラ飛んでいる。歓迎された客たちが「あぶないあぶないからもういい」とハラハラさせられるものである。
船は長い長い桟橋に着いた。今気づいたのだが、桟橋が長いということは、海が遠浅ということなのだろう。僕と久山はそれぞれ荷物を持って、この長い桟橋を歩いた。歩きながら振り返ると、青い海と空。
「いいとこだなあ」
と感心したのだが、あまりにもいいところすぎて、何日も滞在すると頭の中が青空になりそうだった。
パンタラ島は大小2つの島からなり、大きい島の方にはフロント、宿泊施設、レストランがあり、小さな島の方には鉄板焼きレストランとテニスコート、プールがある。2つの島の間は2、3百メートル。ここを渡し船が行き来している。大きい島の方は歩いても、1週30分。島の周辺にはマングローブが生い茂っていた。
「おい、このマングローブの木いうんは変な木やな」
と久山はしきりに興味を惹かれた様子だった。マングローブの木は海水で育つせいだろうか、幹が根みたいな形をして絡み合っている。その複雑怪奇な絡み合い方を久山は気に入ったのだろう。歩いていくと、宿泊棟とは反対側のビーチに、さっき迎えに来てくれた空飛ぶリヤカーが置いてあった。インドネシア人のスタッフが「乗らないか」と誘ってきたが
「絶対いやや!」
と久山も僕もはっきり断った。リヤカーの後ろの方に巨大な扇風機みたいなプロペラが付いているのだが、それで飛べるとはとても思えない。滞在した5日間、毎日このスタッフに「乗らないか」と勧められたが答えはノーである。インドネシアくんだりまで来て、リヤカーで空から落ちて死んだりしたくない。
僕らが宿泊したのは豪華なテント式の部屋で天蓋の付いたキングサイズのベッドが1つ置いてあった。調度品も豪華、お風呂も綺麗で申し分なかった。ただ時々現れる虫やトカゲがのけぞるほどでかいので、これには閉口した。お風呂に入って裸になっている時に、こぶしくらいの大きさのコオロギがむこうからピョンピョン飛んで来たのでパニックになった。素っ裸で部屋に戻りパンツを履いて(なぜかパンツ1枚でも身に付けると強くなった気になる)スリッパを手に持ち復讐に行ったが、あんなにでかいコオロギがどこに行ったかわからない。どこに行ったかわからないと、また出てくるんじゃないかと思って不安である。久山にその話をすると、
「ワシの方は蜘蛛や。ものすごでかい蜘蛛がでたで」
「なんだか原始的な島だよな」
「そうやな。しかしなーんもすることないな」
「じゃあおまえ空飛ぶリヤカー乗れよ」
「いやや。絶対乗らん」
僕らは桟橋で日がな1日シュノーケリングを楽しむ間に、そんな話をした。
久山の言うとおり、ここの島では本当にすることがなかった。唯一の楽しみは桟橋の脇で潜るシュノーケリング。透明度が高く、見たこともない魚が一杯いて、まさに絶好にダイビングポイントだった。潜ってみてわかったのだが、桟橋が切れるあたりから水深が急に深くなり、潮の流れも変わるようだった。僕らは水深10メートル程度のポイントで潜れば、十分楽しめた。目の前を半透明の細長いものがすごいスピードで泳いでいる…イカの大群だった。イカが泳いでいるのを初めて見た。
「タチウオいたやろ。あの刀みたいなやつ。あれ腹に突き刺さるらしいで」
ここの海には、今までに見たことのない魚やサンゴがうじゃうじゃいた。毎日潜っても、飽きることはなかった。
一度、不思議なことがあった。いつものように水深5メーターあたりまで潜り、息が苦しくなりかけた時、すぐ近くを見たこともない大きな魚がゆらりと通りすぎた。「あ」と思ってその魚の後に付いていったら、信じられないほど息が続いたのである。たぶん5分近く潜っていたのではないだろうか。予備の燃料タンクのコックをひねったような感じだった。あんまり長く息が続くので自分でも怖くなって、慌てて海上に上がった。
「おい大丈夫かお前」
と久山は心配そうに話かけてきた。
「いや、自分でもわからないけど今すごく息が続いたよな。どうしてだろう」
僕は試しに何回も潜ってみたが、もう2度とあんなに息が続くことがなかった。以前テレビで素潜りチャンピオンのジャック・マイヨールのドキュメンタリーを見たことがあるのだが、その中でマイヨールは「水中でなら長く息が続く。地上ではそんなに続かない」と言っていた。僕ら人間はもともと海から出てきた生物だから、水の中にいると自分でも知らない能力が急に発揮されることがあるのかもしれない。水中で大きな魚を見て「あ」と思った瞬間に、原始的な息の弁が開いたのかもしれない。一瞬自分が魚になったかのようにゾクゾクしたが、同じ体験はもう2度と出来なかった。
「おまえなあ、無響音室って入ったことあるか?」
「いいや、なにそれ」
「電気メーカーのな、実験室でそういうのがあるんや。ワシ、パンフレットの写真撮りに行ったんやけどものすご変な感じやったで。まず中に入ると、潜水艦みたいな扉を閉めるんや。そうするともう音が一切響かない。不思議なもんでな、音が響かないと足元がフラフラするんや。あれ、やっぱり三半規管に関係あるんかな。足元がよろめくから『おっとっと』っていうやろ。するとその『おっとっと』が口の先で消えてしまうんや。すぐ隣にアシスタントがおったんやけど全然声が届かない。向こうも『久山さん』って言うんやけど、その声は口元で消えてしまって、ワシの耳には届かんのや。おかしいから2人で大笑いしたんだけど、その笑い声も聞こえない。ものすご変な感じやったで。でもあれ、考えてみると海の中みたいやったな。」
「息が続くのと音が聞こえるのは関係あるのかな」
「そらわからんけど、人間の体って不思議やなあ」
僕らはそんな話を桟橋で昼となく夜となく繰り返した。夜、渡し舟で隣の島に渡るとき、空を見上げると信じられないほど美しい星だった。目の悪い僕でさえあれだけ美しく見えたのだから、目のいい久山にはもっとすごい星空に見えたことだろう。
プロウスリブでの5日間は僕らにとって神様がくれた「人生の夏休み」のような日々だった。あんなにたくさん2人で話したのは、後にも先にもこの時しかない。最後には話すことがなくなって、2人ともただ黙って海を見ていた。でも、そんななんでもないことがすごく楽しかった。今となっては、話した内容よりも久山と2人で黙って海を見ていた時間のほうが印象深く残っている。楽しい沈黙、というものを僕らは味わっていたような気がする。
久山と僕。偶然にも同じポーズで写ってしまった。
原田宗典