久山との旅  1周忌の日 – 原田宗典

11月7日、僕は八ヶ岳にいた。
今日が久山の命日だということは、だいぶ前から意識していた。そのせいか7日は朝、明るくなるまで眠れずに、ベッドの中でずっと起きていた。その間に色々なことを思い出していた。久山は確か朝亡くなったと聞いていたので、その時間が来るまで眠れなかったのかもしれない。「夢に久山が出てくるかもしれないな」と思って2、3時間眠ったが、全然関係のない夢を見た。

亡くなってから1年の間に、久山の夢を見たのは2度だった。1度目は、泥濘の中に久山がうつ伏せに倒れていて、それを僕が助け起こすと、同時に立場が入れ替わる――つまり倒れているのが僕で抱え上げてくれたのが久山だった。もう一度見た夢は、どこかの豪華な応接室で、久山はいつになくめかしこんでフランネルの上着なんかを着ていて「よう原田」と言って僕を迎えてくれる。「ああ久山!」と言って抱きつくと、彼はすごくたくましい腕で僕を抱きしめてくれた。そしてテーブルの上に置いてあったさくらんぼだかぶどうだかをひとつまみ口に入れ、「おまえも食えや」そう言ってくるくる回転し、踊りながら向こうへ行ってしまう、そんな夢だった。どちらの夢の中でも、久山はたくましく健康そうで、僕を励ますようににこにこしていた。
11月7日の朝、久山の夢は見なかったが、八ヶ岳から東京へ帰る車の中で彼との思い出をずうっと思い返していた。その時、印象深く考えたのは、1年という時の流れのことだ。1年・・・久山が亡くなったあの日から数えて、地球は太陽の周りを丁度1周した訳か。この時間の流れには、いったいどういう意味があるのだろう? 久山よ、おまえはこの同じ時の流れの中に、今もいてくれるのか。それとも地球なんか見えないくらい遠くへ行ってしまったのか。いや、こうして思い出しているということは、おまえはまだ近くに、もしかしたら僕の中にいるのかもしれないよな。そう言えばつい先日、仁子さんとゆめこさんと3人で『ミッドナイトガイズ』という映画を観た。その中でアル・パチーノが親友の弔辞を述べるシーンがあって、こんなことを言っていた。「人は2度死ぬ。1度目は魂が肉体から離れた時。2度目はその名前が呼ばれなくなった時」このセリフは僕の胸を突いた。本当にその通りだと思う。だから久山よ、僕はおまえの名前を呼ぶぞ。1年経とうが2年経とうが10年経とうが僕はおまえの名前を呼ぶぞ。そんなことを考えているうちに、車は東京に着いた。
久山の家に着いたのは6時すぎだった。玄関脇のあかりの下に「久山城正1周忌」のパネルが掲げてあり、その名前が目にしみるようだった。いつものように愛犬のくまと仁子さんが出迎えてくれた。例によってくまははしゃいで飛びついてきたが、そのあとすぐに落ち着きを取り戻し、いつになく大人しい様子でいた。中にはすでに多くのお客さんがいて、特に女性たちは台所の流しに沿って、くの字に固まって華やかにおしゃべりをしていた。5、6人がかりで料理を作っているらしい。室内には美味しそうな匂いと和やかな空気に満ちていた。僕はいつものように遺影の前に行って、「よう久山」と片手を上げて軽く挨拶をした。

両手を合わせて祈るのはなんだか嫌なのだ。もしこれが逆の立場だったとしたら、僕の遺影の前で久山は両手を合わせて祈るだろうか。いや、そんなことはしてほしくないし、しないだろう。生きている時と全く同じように「やあ」と軽く挨拶してほしい。そして名前を呼んでほしい。僕と久山はそういう仲だったから、それを変えたくないのだ。
室内の壁には久山の撮った写真が額に入れて何枚も飾られていた。リビングには花や植物の写真。これらは彩色してあるのかと思ったが、そうではないらしい。とても健気でどれも美しい。寝室の壁には震災の時の写真が掛けてあった。こちらは美しいと言っては語弊があろう。どれも目ではなく胸に訴えかけてくるような写真ばかりだ。そして久山の書斎には額に入れていない紙焼きが数十枚無造作に吊るしてあり、机の上にはアルバムとパソコンのモニター。モニターには久山が最晩年に撮った写真が次々と映し出されていた。これらは久山が最後に手に入れた、ポールスミスモデルのライカで撮った写真なのだそうだ。僕はそのモニターの前から動けなくなった。さっきの挨拶の時もそうだが、僕はいつも「逆の立場だったら・・・」と考えてしまう。もし僕が死んだら、遺された人たちに何をしてもらいたいだろう? 僕が書いたものを読んでもらいたい、そう思うに決まってる。久山だって同じだ。「ワシが撮った写真を観てくれ」久山は絶対にそう思っている。だから僕はそのモニターの写真をただじっと見続けることにした。
「そうそう、そうやって観てもらいたかったんや」
とどこかで声がしたような気がした。
モニターには久山自身が自分を撮った写真も、次々に映し出されていた。色々なメガネを掛けてカッコをつけている久山の顔。おどけて大きく口を開けた久山の顔。光の具合がいいからと言って、テレビのモニターにほっぺたをくっつけた久山の顔。ピンボケの久山の顔。シャープにピンが来た久山の顔。懐かしいなんて感じは全然しなくて今この時も久山は隣に座っていて
「な、これいいやろ。よく撮れてるやろ」
と話かけてくるかのようだ。
自画像、風景、人物、なんでもない日用品、花・・・
どの写真も、過ぎてゆく僅かな一瞬をいつくしむように撮っているのが感じられた。
「いいなあ、すごくいいよ久山」
僕は声に出して呟いた。モニターの中で久山は「そうやろ」と言いたげに笑っていた。

IMG_4025 (1280x960)

原田宗典

2 Comments

  1. 魂が肉体から離れた時、人は自分の霊的実体を知り、生に入る・・・ハワイへの移住は叶わなかったけれど、死して沢山の人に“生きる”ことの意味を問いかける存在になったことで本当のカフナになったんじゃな・・・

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