あんたがあっちの世界に旅立ってから、もうすぐ1年が経つんだね。時が経つのは早いんだなあ。まだ、久山が自分で演出した「遺影」(撮影は大山くんで、それを加工したのが久山らしい)が目に焼き付いています。あれは、しばらくは忘れそうもありません。
そんな事を考えていたら、久山の撮った写真って、たくさん心の隅に残っている事に気がついた。バイクでしょ、雪山のタイヤでしょ、「雲雀ヶ丘」でモデル撮影、小学校の子供たちなんてのもあったね。久山が東京に行ってからはあまり一緒に仕事できなかったけど、10数年も経つのに、鮮明に覚えている。
撮影の現場も、久山がファインダーを覗いてる姿も、もちろん出来上がった写真も。職業柄、たくさんのカメラマンとおつきあいがあって、いろんな写真も撮ったけど、何でだろうね。それが久山の久山たる所以なのかしらん。
そして最後は私とあけちゃんのポートレイト。そうだ、あけちゃんの遺影も久山が撮ってくれた写真でした。よく人柄が出てた。改めてお礼を言います。
久山の遺影も、さすが久山らしいよね。「常にかっこよく、シュールに」。プライドのうらっかわにあるペーソスとかエスプリとか、はにかみのジョークなんての、よくわかるもん(つもり)。
人間の生き様なんてよくわからないけど、死に様まで「久山としてのカメラマンらしさ」を貫けたこと、周りのみんなに感謝しなくちゃね。あっちの世界でもそのまんまなんだろうな。
久山はカメラマンとしての魂をもったままあっちへ行ったけど、果たして俺たちはどうだろう、と、ふと思います。あっちの世界で合流できるのはあと何年先かわからないけど、俺たちは現実の世界でこれからもう少しだけ歳を重ねるわけでしょ。そんときまで同じような魂でいられるのかなあ。もう、写真とかデザインとか、企画とか原稿なんて仕事場では「お払い箱」になっていて、単なる好々爺になってたら、あっちで話が合わないもんなあ。
まあ、現実的にはそろそろ「お払い箱」の年齢だけど、魂だけは共有できるように、維持していこうと思います。
宗教(特に仏教)の世界では輪廻と解脱というのがあって、解脱(あの世で修行して悟りを開く)しない限り、魂はまた現実世界に生まれ変わるらしい。
解脱なんてしないで、また、この世界へ戻って来ようぜ。で、また巡り会って
おもしろいコトしようぜ。楽しみにしてるから。またね。
南谷哲朗